ホワイト・ライオン(White Lion)が成功したとき、ギタリストの
ヴィト・ブラッタ(Vito Bratta)には“エディ・ヴァン・ヘイレンのスタイルを盗んだ”という非難が向けられました。エディ本人はこの考えに同意せず、エディはブラッタに会ったとき、素晴らしい話をしたようで、ブラッタは「部屋を出てトイレに行って、泣かなければならないほど感動した」と、この感動的な出会いを振り返っています、
ブラッタは、米Guitar World誌のインタビューの中で、彼のサウンドを形成したギタリストについて話をした際、エディについてのエピソードも話しています。
ブラッタは、
エディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)が彼のギタリストとしての成長に大きな影響を与えたと話し、「エディ・ヴァン・ヘイレンの登場時に最も衝撃を受けたのは、僕が追い求めていたすべてのものを一人の男に持っていたこと」「ロックバンドのギタリストになることを考えたときに思い浮かべたイメージの人だった」と話しています。
1980年代半ばにホワイト・ライオンが商業的に成功したとき、エディのスタイルを盗んだという非難が彼に向けられました。
「80年代にホワイト・ライオンで地位を確立すると、彼のスタイルを真似たと言う人から多くの非難を受けた。全部デタラメだ。エディに会ったとき、“僕があなたのようなプレイをするのは嫌ですか?”と聞いたことがある。雑誌などでそう書かれていて頭に叩き込まれたから、そう思ったんだよ」
ブラッタによると、エディは「エディのクローン」という考えに否定的でした。
「僕はエディの名前を何にでも使うタイプではない。特に彼が亡くなってからはね。でも、エディが僕を褒めてくれたこと、そして、彼はそれに同意しなかったことは言っておくよ。
僕が言いたいのは、エディと話したとき、彼は同意しなかったということ。(ホワイト・ライオンの1991年のアルバム)『Mane Attraction』のレコーディング中に彼がスタジオに入ってきて、一度だけど会うことができたんだ。彼はスタジオに入ってきて、僕の5150アンプの上に座った。僕は圧倒された。エディ・ヴァン・ヘイレンが僕のアンプに座ってギターでジャムセッションしているのを見たんだ。
エディはその日、僕にいいことをたくさん言ってくれた。それは墓場まで持っていくつもりだけど、これだけは言っておくよ。部屋を出てトイレに行って、泣かなければならないほど感動した。彼に似ているとか、彼の真似をしているとか、そんなことを言われた後でも、彼は僕の仕事を気に入ってくれて、それを尊重してくれているということは、とても大きな意味のあることだったんだ」