Ahmad Jamal - Dave Kotinsky/Getty Images for Jazz At Lincoln Center
70年もの間、何世代ものミュージシャンに影響を与えた伝説的なジャズ・ピアニスト、
アーマッド・ジャマル(Ahmad Jamal)が死去。妻のLaura Hess-Heyが米ワシントン・ポスト紙に訃報を伝えています。死因は明らかにされていません。92歳でした。
アーマッド・ジャマルは米ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。出生時の名前はフレデリック・ラッセル・ジョーンズ。3歳でピアノを始め、7歳の時にメアリー・カードウェル・ドーソンのもとで本格的なピアノの練習を始める。10代前半はピアニストのジェームズ・ミラーに師事した。17歳になると、ジョージ・ハドソン・オーケストラの一員としてツアーに参加するようになる。
1951年、シカゴに移り住んだジャマルは、最初のトリオ、スリー・ストリングスを結成。彼らはジョン・ハモンドに見いだされ、Okehレコードと契約。同年末、ジャマルはバンドリーダーとしての最初のアルバム『Ahmad's Blues』を同レーベルからリリースした。スリー・ストリングスは1958年にシカゴのパーシング・ホテルのハウス・トリオとなり、このホテルに滞在していた時に、今では伝説となっている「But Not For Me」を録音した。
ジャマルは長年のキャリアを通じて、ピアノソロ作品からジャズトリオ、弦楽四重奏団とのコラボレーションまで、70枚以上のアルバムをリリースした。最後の作品は2019年の『Ballades』だった。その2年前の2017年には、グラミー賞の生涯功労賞を受賞している。
ジャマルは、ミニマルで抑制の効いた演奏で知られるジャズの革新者で、「クールジャズ」の基礎を築いた。おそらく最もよく知られているのは、1958年のアルバム『Live at the Pershing: But Not For Me』や1970年のアーマッド・ジャマル・トリオのアルバム『The Awakening』に収録されているジャズスタンダード「Poinciana」のアレンジ。
ジャマルが1970年に録音した傑作『The Awakening』は、Gang StarrやNasの楽曲にサンプリングされている。マイルス・デイヴィスもまた、ジャマルに多大な影響を与えたと考えており、1989年には「私はいつも、アーマッド・ジャマルは、彼にふさわしい評価を受けることのない偉大なピアノ奏者だと思ってきた」と記している。