Pink Floyd / Dark Side Of The Moon
ピンク・フロイド(Pink Floyd)のアルバム『The Dark Side of the Moon(邦題:狂気)』を1939年のファンタジー映画『オズの魔法使い』と同時再生すると、曲と映像が不気味にシンクロする『ダークサイド・オブ・ザ・レインボー(The Dark Side of the Rainbow)』現象。これを最初に世に広めた人物は現在、ピューリッツァー賞受賞の政治記者として活躍していますが、まさか、19歳のときに書いた風変わりな小さな記事が「一生ついて回ることになるとは」と英Mojo誌のインタビューの中で語っています。
この2つの作品を同時に再生するというアイデアは、誰が最初に思いついたのか不明ですが、1995年8月1日付のザ・ジャーナル・ガゼット紙(米インディアナ州フォートウェイの新聞)に寄稿したチャーリー・サヴェージが最初に世に知らしめたと言われています。その中で彼は、MGMのライオンがスクリーン上で初めて咆哮する時にバンドのCDをスタートさせると、数カ所で曲と映像が不気味にシンクロすることを指摘しています。このマッシュアップは『ダークサイド・オブ・ザ・レインボー』と呼ばれ、それ以来、このマッシュアップに付けられた通称となりました。
サヴェージは1994年の秋に大学に入学したとき、初めてインターネットにアクセスします。彼は「alt.music.pink-floyd」というサイトを何度も訪れ、そこで彼は『ダークサイド・オブ・ザ・レインボー』現象を知ります。「誰かが、『オズの魔法使い』を音を消して、『The Dark Side of the Moon』を流して観ると、面白いようにシンクロすると言っていた」「その映画のVHSテープを借りてきて、やってみた。歌詞と映像の重なりを見つけながら、みんなでいろいろと観察したんだ」と振り返っています。
翌年、ザ・ジャーナル・ガゼット紙でのインターンシップ中に、サヴェージはこのアイデアを、いつも変わった記事に目を光らせている編集者に売り込み、見事記事が掲載さます。
その後、ある時、誰かがサヴェージのWikipediaのページに、『ダークサイド・オブ・ザ・レインボー』現象について最初に主流メディアに書いたのはサヴェージだと書き加まれます。
サヴェージ「私は、国家安全保障と法律問題(大統領権限、無人機攻撃、行政特権、グアンタナモ収容所、軍事委員会、監視など)を専門とするジャーナリストとしてキャリアを積んできました。重苦しいものです。19歳のときに書いた風変わりな小さな記事が、一生ついて回るという事実には、時間をかけて納得してきました」と話しています。
チャーリー・サヴェージはピューリッツァー賞を受賞したジャーナリストで、現在はニューヨーク・タイムズのワシントン特派員として活躍しています。
昨年、ロジャー・ウォーターズは『ダークサイド・オブ・ザ・レインボー』現象は面白いと思っているが計画したわけではないと語っていました。「彼らが言うことに乗ればいいのかもしれないが、それは俺たちとは何の関係もない。俺たちの誰とも、ピンク・フロイドの誰とも、曲を書いたり録音したりした誰とも関係ないんだ」。