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マーティ・フリードマン シュレッダー達に語る 「音楽を作るのは練習ではない。音楽を作るということは自分の気持ちを誰かの耳に届けることなんだ」

2023/04/05 17:11掲載
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Marty Friedman
Marty Friedman
マーティ・フリードマン(Marty Friedman)は“シュレッダー(速弾きギタリスト)”と呼ばれるのを好みません。ultimate-guitar.comの新しいインタビューの中で、シュレッダーについて持論を話し、「音楽を作るのは練習ではない。音楽を作るということは、人生、人生経験、そして自分の気持ちを誰かの耳に届けるということなんだ」と話しています。

「“シュレッダー”という言葉が今何を意味するのかよくわからないけど、僕が子供の頃は、地下室で1日10時間練習している子供が常にいた。彼らは信じられないほど速く、正確で、トリッキーな演奏をしていた。でも、正直なところ、あまりいい音だとは思えなかった。

見た目は素晴らしい。あの指を見ると“うわ、この人すごいな”と興奮するけど、目を閉じて聴いてみると、“この人が弾いているものは、絶対に曲にはならない”と思う。それに、人気が出るようなものにもなり得ない。指先はかっこいいけど、音はかっこよくない。僕のイメージでは、シュレッダーはそういうもの。だから、この言葉を聞くと、そういうイメージになる。そういうのは本当に簡単で、練習さえすれば、なんでもできるんだ。

音楽を作るのは練習ではない。音楽を作るということは、人生、人生経験、そして自分の気持ちを誰かの耳に届けるということなんだ。それは練習とはあまり関係がなく、自分の感情をどの楽器でどう解釈するかを理解することに関係がある。それが人生の旅なんだ。この違いがわかるかい?

メトロノームの前に座って毎日スピードを上げ、何時間も同じことを繰り返し演奏し、それに熟達すること。それもひとつだけど、(もうひとつは)失恋や家族の問題、健康問題、そして他の人に伝えたいと思う気持ちを抱えた人生を送ること。だって、他の人も同じ気持ちを持っているからね。

では、メトロノームの前に座っているのとは違うところから来るそれを、どうやったらできるのか? シュレッダーを聴いていると、正直なところ、そのテクニックに感心することがある。でも、僕はそれを見抜いてしまう。この人は一日中練習している人なんだと。それは素晴らしいことだけど、僕は本当に感動する音楽を聴いたとき、その音楽を作っているミュージシャンの魂にとても興味が湧く。人間的なつながりを感じるんだ。そのようなことは、機械的な練習とはほとんど関係がない。

時に人はカテゴライズしたがるもので、特にギタリストは、僕のような派手なギタリストは“彼はシュレッダーだ!”と言う人もいる。それは単なる褒め言葉かもしれないし、僕はそれを冷静に受け止めなければならない。でも、僕自身の定義としては、君に説明したようなものなんだ」