英プログレッシブ・ロック・バンド、
ジェントル・ジャイアント(Gentle Giant)の創設メンバーでベーシストの
レイ・シャルマン(Ray Shulman)が死去。ジェントル・ジャイアントおよび、バンドメイトで兄のデレク・シャルマンがSNSで発表。レイは長い闘病生活を送っていましたが、死因は明らかにされていません。73歳でした。
以下、ジェントル・ジャイアントの声明より
「2023年3月30日、レイモンド・シャルマンが亡くなったことを、大きな悲しみとともにお知らせします。
レイモンドは長い闘病生活の末、ロンドンの自宅で安らかに息を引き取りました。遺族は、妻のバーバラ・タナー、兄弟のデレクとフィリップ・シャルマンです。彼の家族は、この非常に悲しい時にプライバシーを守ることを希望されています」
以下、デレク・シャルマンの声明より
「私の弟であり、親友でもあったレイ・シャルマンが3月30日にロンドンの自宅で亡くなり、深く悲しんでいます。
私は、彼が長い病気と勇敢に闘っている間、最後まで彼と一緒にいました。少なくとも私は、彼が今安らかに眠っていることを知っています。
レイは本当にいろいろな意味で天才でした。彼はとても親切で思いやりのある魂でした。
彼は素晴らしい作曲家であり、ミュージシャンであり、音楽プロデューサーであり、技術の魔術使いでもありました。
彼は真の芸術家であり、自分のことを語るよりも、自分の作品群に語らせることを好んで、裏方に徹していました。
私や兄のフィリップとともに、彼はサイモン・デュプリー&ザ・ビッグ・サウンドの創設メンバーであり、その後ジェントル・ジャイアントの創設メンバーにもなりました。
その後、The Sundays、The Sugarcubes、Ian McCullochなど多くのアーティストをプロデュースしました。
最近では、他のアーティストのオーサリングやリミックスに、その技術と音楽的な専門知識を捧げていました。
彼は、音楽コミュニティ全体から深く惜しまれることでしょう。さらに重要なことは、彼が私の兄弟であり、本当に私の親友であったことです。彼は妻のバーバラ・タナーと兄のフィリップを残しています。レイを知る人、彼を知るすべての人へ“彼のことを優しく思ってあげてください”」
音楽一家に育ったレイは、兄弟のフィルとデレクとともに、1960年代初頭に最初のバンド、サイモン・デュプリー&ザ・ビッグ・サウンドを結成。このバンドはすぐにEMIとレコード契約を結び、「Kites」というトップ10シングルを発表するが、バンドは短命に終わる。
1970年、シャルマン兄弟は、ゲイリー・グリーン、ケリー・ミネア、マーティン・スミスと共にジェントル・ジャイアントを結成する。1970年、デヴィッド・ボウイ等の作品を手がけたトニー・ヴィスコンティのプロデュースでデビュー・アルバム『Gentle Giant』を発表した。以来、コンスタントに作品を発表し、1970年代を通して11枚のスタジオアルバムをリリースした。商業的な大きな成功を収めることはなかったが、プログレッシブ・ロックの一角として活躍した。バンドは1980年に解散した。
レイはジェントル・ジャイアントで主にベースを担当したが、ヴァイオリン、ビオラ、リコーダー、トランペット、ギター等も担当した。ケリー・ミネアと共に楽曲の多くを作曲した。
レイはジェントル・ジャイアント解散後、プロデューサーとしてシュガーキューブス、サンデーズ、イアン・マッカロク等の作品をプロデュースした。