ジェームス・ブラウン(James Brown)のバンドのベーシストとして「Say It Loud - I'm Black and I'm Proud」「Mother Popcorn」「Give It Up or Turnit a Loose」などのレコーディングに参加。ソウル/ファンク系のベース、ギター、キーボード、ヴォーカリストとして活躍した
スウィート・チャールズ・シェレル(Sweet Charles Sherrell)が死去。家族がシェレルのFacebookページで発表。80歳でした。
以下、声明より
「チャールズは肺気腫と闘いながら、驚くほど長い間元気に過ごしてきましたが、彼の心臓はもう対処しきれなくなりました。
“痛みも何もなく、ただ息切れがするだけです。私よりずっと悪い人がいる。"
“私は素晴らしい人生を歩んできた。家族を愛し、最後までそばにいてくれた真の友人を愛しています。ありがとうございました。あなたに神のご加護がありますように”
チャールズ・エマニュエル・シェレル
“スウィート・チャールズ”
アメリカ・ナッシュビル、1943年3月8日 - オランダ・マールテンスデイク、2023年3月29日」
スウィート・チャールズ・シェレルことチャールズ・エマニュエル・シェレルは1943年3月 米テネシー州ナッシュビル生まれ。トロンボーン奏者、ドラマーとして音楽活動を始める。その後、地元の質屋で買ったベースを独学で弾き始める。60年代半ばには十分に上達し、アレサ・フランクリンと何度も共演するようになった。
1968年、ジェームス・ブラウンのバンドに参加し、ブレイクを果たす。彼は、1960年代後半のブラウンの最も有名なレコーディングに参加し、R&Bの1位ヒット曲「Say It Loud - I'm Black and I'm Proud」、「Mother Popcorn」、「Give It Up or Turnit a Loose」等を演奏した。
ブラウンは、ブーツィー・コリンズなど他のプレイヤーが取り入れた、弦を叩くなどの演奏技術を取り入れた最初のベーシストであると評価していた。
シェレルは1970年に金銭的な問題でバンドを脱退するが、1970年代、シェレルはブラウンと再合流し、The J.B.'sで演奏し、ブラウンの音楽監督となった。1996年に再び辞めるまで、20年間その役割を続けた。
シェレルはテイク6、アル・グリーン、スヌープ・ドッグなどとも共演した。またスウィート・チャールズ名義でソロ・アルバムも発表した