ウルトラマンのスペシウム光線など、特撮作品の光線を描き続けた、光学作画の第一人者、飯塚定雄が死去。認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)によると、3月24日午前、誤嚥性肺炎のため亡くなりました。88歳でした。
飯塚定雄は1934年、東京生まれ。高校時代に洋画家の東郷青児に絵画を学ぶ。同時に東宝撮影所のアルバイトとして『ゴジラ』(54年)から『空の大怪獣ラドン』(56年)まで様々な映画の美術助手を担当する。57年に円谷英二に光学作画の担当をすすめられ、その後は東宝特撮作品の隆盛を支え、円谷プロで『ウルトラマン』(66年)のスペシウム光線など多数の仕事をこなして光学作画の第一人者に。キングギドラの引力光線やメーサー車の光線、ウルトラマンのスペシウム光線や八つ裂き光輪などを生み出した。近年では『シン・ウルトラマン』(2022)で光学作画を担当。
<主な作品>
『ゴジラ』(54年)/『ゴジラの逆襲』(55年)/『空の大怪獣ラドン』(56年)/
『地球防衛軍』(57年)/『美女と液体人間』(58年)/『日本誕生』(59年)/
『宇宙大戦争』(59年)/『電送人間』(60年)/『モスラ』(61年)/
『妖星ゴラス』(62年)/『キングコング対ゴジラ』(62年)/
『天国と地獄』(63年)/『大盗賊』(63年)/
『江分利満氏の優雅な生活』(63年)/『モスラ対ゴジラ』(64年)/
『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年)/『怪獣大戦争』(65年)/
『ウルトラQ』(66年)/『ウルトラマン』(66年)/
『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(66年)/
『殺人狂時代』(67年)/『キングコングの逆襲』(67年)/
『ウルトラセブン』(67年)/『怪奇大作戦』(68年)/
『帰ってきたウルトラマン』(71年)/『宇宙からのメッセージ』(78年)/
『夜叉ヶ池』(79年)/『太陽戦隊サンバルカン』(81年)/
『魔界転生』(81年)/『宇宙刑事ギャバン』(82年)/
『螢川』(87年)/『ウルトラマンX』(15年)他