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デレク・アンド・ザ・ドミノスのドラマー ジム・ゴードン死去

2023/03/16 09:10掲載(Last Update:2023/03/16 09:38)
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Jim Gordon - Photo by Brian Cooke/Redferns, Getty Images
Jim Gordon - Photo by Brian Cooke/Redferns, Getty Images
デレク・アンド・ザ・ドミノス(Derek and the Dominos)のドラマーで、セッションミュージシャンとして多くの著名なミュージシャンと共演したドラマーのジム・ゴードン(Jim Gordon)が死去。77歳でした。

ゴードンは、母親を殺害した罪で有罪判決を受け、その後、統合失調症と診断されました。プレスリリースによると、長い投獄生活と生涯にわたる精神疾患との闘いの末、3月13日にカリフォルニア州ヴァカヴィルのカリフォルニア医療施設で自然死しました。

ジム・ゴードンは1945年7月ロサンゼルス生まれ。17歳のとき、UCLAの音楽奨学生に合格し、1963年、高校を卒業した翌日から、エヴァリー・ブラザーズのバックを務めてプロのキャリアをスタートさせる。

当時のロサンゼルスにおける最も需要の多いセッションドラマーの一人となり、レッキング・クルーとして知られるセッションミュージシャン集団の一員として、ビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』やザ・バーズの『The Notorious Byrd Brothers(邦題:名うてのバード兄弟)』といった名作アルバムを含む何百もの楽曲で演奏した。

1969年、ゴードンは、デラニー&ボニーのバックバンドを務めていたエリック・クラプトンと出会う。クラプトンは後に、ベーシストのカール・レイドル、キーボーディストのボビー・ウィットロックとともに、ゴードンを自身の新バンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスに迎え入れることになる。彼らはまず、ジョージ・ハリスンの『All Things Must Pass』のバックバンドを務めた後、自分たちのアルバムをレコーディングした。

1970年に発表した唯一のスタジオアルバム『Layla and Other Assorted Love Songs(邦題:いとしのレイラ)』は、ロック史に残る名盤として知られている。ゴードンは全曲でドラムを演奏し、このアルバムの代表的なシングル曲「Layla」ではクラプトンと共作した。

デレク・アンド・ザ・ドミノスは1971年に解散。ゴードンは、アリス・クーパー、スティーリー・ダン、ジョー・コッカー、デイヴ・メイスン、トラフィック、ハリー・ニルソン、フランク・ザッパ、アート・ガーファンクルなどで活躍し、長年にわたって需要の多いドラマーであり続けた。

ゴードンは同時代の最も偉大なロック・ドラマーの一人であったが、ゴードンは統合失調症を発症。長い間、不適切な治療を受けた後、1983年6月、ゴードンは72歳の母親を殺害した。ゴードンは、頭の中の声がそうするように言ったと主張した。逮捕後、初めて、統合失調症と適切に診断された。ゴードンは懲役16年の判決を受け刑務所に収監された。1991年以来、仮釈放の資格があったにもかかわらず、彼は最後まで投獄されたままだった。