マーティ・フリードマン(Marty Friedman)、「ヘタウマ」を語る。自身のSNSページに「米国と日本のメインストリームのヒット曲の主な違いは、ヴォーカルのチューニングの仕方にある」という持論を投稿。その中で日本の「ヘタウマ」の魅力を語っています。
「アメリカでのツアーが1週間経ったけど、この1週間は、日本でここ1年ほど聴いたものよりも多くアメリカの音楽をたくさん聴いた。その多くが好き。曲作りも、アレンジも、演奏も素晴らしく、ヒットする理由がよくわかる。
もちろん、すべてがガード上にあり、完璧にチューニングされ、クオンタイズ(※演奏データのタイミングのズレを補正する効果)されているけど、それはもう数十年前からアメリカでは当たり前になっている。
一般的に言って、アメリカのメインストリームのヒット曲と日本のヒット曲の主な違いは、ヴォーカルのチューニングの仕方。アメリカでは、優れたヴォーカリストがいて、その演奏は完璧にチューニングされている。日本では、優れたヴォーカリストもいいけれど、特定のシンガーが持つ独特の、ちょっと弱々しい声の魔法の方が、歌唱力に関係なく、ずっと尊敬されている。
もちろん日本のヴォーカルもチューニングされているけど、許容できないような小さな音程のニュアンスを修正する程度。“ヘタウマ(heta-uma)”(それほど上手くないが、原始的な発声技術よりもはるかに魅力的な魔力を持った声)というコンセプトが日本には生きている。
これは僕が日本の音楽の好きなところのひとつ。完璧なヴォーカル・パフォーマンスは素晴らしいけど、最終的には非常に退屈なものになる。より弱々しい声は、その歌手を“応援したい”“支持したい”というサブリミナルな欲求を生み出す。これは、日本の音楽では非常に重要なこと。もし、歌い手が超強力なヴォーカルを大胆に、力強く披露していたら、それは印象的だけど、同時に“私はあなたの助けを必要としていない”というような大きなメッセージを送ることにもなる。
結局は好みの問題で、音楽や芸術に良いも悪いもない。ヴォーカリストの実力で判断するのではなく、自分の好みを正確に反映したレベルで音楽を楽しむことができるので、僕にとっては“ヘタウマ”の魔法に出会えて本当に良かったと思っているよ。ちなみに、これは他の楽器にも言えることです。
わかるかな?」