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ニュー・オーダー「Blue Monday」40周年 エンジニア担当/事実上のプロデューサーが当時の逸話を語る

2023/03/08 15:07掲載
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New Order / Blue Monday
New Order / Blue Monday
ニュー・オーダー(New Order)が代表曲のひとつ「Blue Monday」の12インチ・シングルを1983年3月7日にリリースしてから40周年を迎えました。

この曲のエンジニアを担当し、その後、ニュー・オーダーで3枚のアルバムを録音したエンジニア/プロデューサーのマイケル・ジョンソンは、英Music Weekのインタビューの中で「Blue Monday」を振り返り、逸話を話しています。

Q:スタジオの雰囲気やレコーディングの様子について、覚えていることはありますか?

「“Blue Monday”は、ドラム、ベース、シンセのほとんどがあらかじめプログラムされていた。だから、それを録音して、セッションの後半にオーバーダビングを始めた。フッキー(ピーター・フック)はいつもコントロールルームにいて、ミキサーの左側に座って本を読んだり、話をしたりしていた。他のメンバーは行ったり来たりしていた。時には別の部屋でお茶を飲んだり、卓球やスヌーカーで遊んだりしながら作業をしていることもあった。でも、フッキーはほとんどずっとそこにいたよ」

Q:この曲のプログラミングはかなり大変そうですが、どうだったのでしょうか?

「彼らは専用のリハーサル室を持っていたので、ほとんどはスタジオに入る前に、そこでやった。その後、いろいろと追加した。スティーヴン(モリス)は、Apple IIコンピュータでスピーチシンセサイザーを操作して、“How does it f-f-f-feel?”と吃音になるようにしていた。当時はMIDIタイムコードがなかったので、22トラックしか使えず、そのうち2トラックは同期パルスに使われていたので、同じトラックにいろいろなものを入れなければならなかった。何か別の録音をしているときに、うっかりスピーチシンセサイザーを消してしまった。彼はあまり乗り気ではなかったので、もう一度やり直す気にはなれなかった。彼が私を許したかどうかはわからない」

Q:あなたが「Blue Monday」にもたらしたものは何だと思いますか?

「フッキーの本には、私がベースを弾くことを提案したと書かれています。私は覚えていないのですが・・・。彼らは元々、自分たちが演奏するつもりはなかった。ライヴのアンコールで曲を流すというアイデアだった。ボタンを押せば音楽が始まり、バーに行ったり、車に乗って帰ったりすることができる。しかし、私がベースを入れることを提案したとき、それは完全に変わってしまった。それでグループの曲になり、それからおそらくマネージャーのロブ・グレトンがバーナード (サムナー) に歌詞を書いて歌ってはどうかと提案した。それから、いろいろと手を加え始めたんだ。バーナードが自分で録音した雷雨の音など、効果音やサンプルはすでにいくつか加えていた。それから、クラフトワークの有名なサンプルである聖歌隊も、どこかからサンプリングしたものだった。だから、私はサウンドにとても深く関わっていたんだ。有名なバスドラムの音は、彼らがゲームルームに置いていた大きなスタジオモニターに送ってミキシングした。スタジオでは、かなり意見を出したよ」

Q:プロデューサーのクレジットのようなものはもらえたのでしょうか?

「いや、それ以降のアルバムではもらえたよ。次の3枚のアルバムでは、ロイヤリティをもらっている。プロダクション・クレジットはもらえなかったけど、ロイヤリティを支払っているということは、少なくとも共同プロデューサーだと思われていたのは明らかだね」

Q:「Blue Monday」ではどんな機材を使っていたのでしょうか?

「Oberheim DMXドラムマシン、Prophet、Moog Sourceベースライン、Quadraはストリングマシンとシンセサイザーがひとつになったものだった。Oberheim DMXドラムマシンはデジタルだったけど、シンセは全部アナログだった」

Q:何か少し時代から外れているような気がしますね?

「そうだね、ちょっとしたシンセサイザーのラインがあって、それをシーケンスするために、事実上コードとして入力しなければならない、とても原始的なシーケンサーがあって、それはとても使いにくいものだった。ジリアン(ギルバート)は、何を入れて、何をまだ入れていないのかを記録しておかなければならなかった。彼女は、A4サイズの紙に手書きでシーケンスを書き出し、それをセロテープでまとめて大きなロール状にした。それを入力するときに、16分休符を1つ多く入れてしまい、少しずれてしまった。でも、聴いてみると、とてもいい音だった。ちょうどいい音量になったことで、トラックに弾みがついて、とてもいい感じになった。幸せな偶然だった」

Q:ニュー・オーダーがパントマイムではなくく生演奏を試みた(英TV番組)『Top Of The Pops』のパフォーマンスについて、何か覚えていますか?

「私はそこにいたよ。ミキシングを手伝うはずだったんだけど、BBCは労働組合があるから、ミキシングデスクに近づくことは許されなかった。私は後ろに立って、彼らにアドバイスしようとしていた。私たちが知っている限りでは、これは単なる通し(テスト)で、別のテイクがあるはずだった。でも、ディレクターは最後に“よし、次のセッティングだ”と言って、もう1度やらせてくれなかった。だから、彼らはあまり満足していなかった。BBCも特に満足はしていなかったと思うけど、もう一回やらせる用意はなかった。だから、私たちは、あまり良くないミックスで行くしかなかったんだ」

Q:クラフトワークがあなたと仕事をすることになったのは「Blue Monday」がきっかけだったのでは?

「そうだね、彼らはスタジオと連絡を取り合ったんだ。彼らはクラブで“Blue Monday”を聴いて、バスドラムの音にノックアウトされ、ニュー・オーダーはどうやってこれを手に入れたのだろうと思ったのだと思う。彼らはスティーヴンに電話をかけて、それがどこで行われたかを聞き出したんだと思う。それについては、いろいろな話がある。フーキーの話だと、スタジオに嫌気がさしていた彼らは、スタジオでそれが作られたことを信じず、ムッとして出て行ってしまったということだが、それは真実とはちょっと違う。

私は、自分の力が及ばずに理解できないのではと少し思っていたけど、その点、クラフトワークにはちょっと肩透かしを食らったような感じだった。彼らが話しを進めるものだと思っていたけど、彼らはただ座っているだけで、私がこの曲(Tour De France)のリミックスを作ることを期待していた。でもそれは、私が慣れ親しんだ仕事の仕方ではなかった。私は新しいタイプのエンジニアだった。『Power, Corruption & Lies』は、エンジニアとして初めて自分の手でレコーディングしたアルバムでした。昨年出版されたカール・バルトスの著書『The Sound Of The Machine』を読んだら、かなり褒め称えていた。彼らがムッとして出て行ったとは確かに言っていないね」

Q:『Power, Corruption & Lies』での作業はいかがでしたか?

「彼らは自分たちでプロデュースすることを決めていたんだと思う。彼らは自分たちでシングルを何枚か作っていた。彼らはマーティン(ハネット、プロデューサー)の作品には決して満足していなかった。今改めてジョイ・ディヴィジョンの作品を振り返ってみると、彼は素晴らしい仕事をしたと実感していると思う。でも、当時、彼が作ったサウンドは、自分たちが求めていたものには程遠いものだった。『Power, Corruption & Lies』になると、彼らは完全に方向性を変えてしまった。彼らはクラブで聴いていたダンスミュージックに、より大きな影響を受けていた。だから、足かせが外れて、彼らは本当に開花したんだ」

Q:最後にこのような名作に携われたことをどう感じていますか?

「私が本当に最初にやったことがほとんどで、それがとてもうまくいったというのは奇妙なことだよ。スタジオに入った最初の週は、ピンク・フロイドの『The Wall』のサウンドエフェクトを担当し“Another Brick In The Wall [Part 2]”の子供たちを録音した。だから、私が実際に録音して発売された最初のものは、クリスマスNo.1曲だった。そして、その数年後に録音した“Blue Monday”は、12インチとしては史上最大の売り上げを記録している。それ以来、着実に下降を続けているよ!」