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80年の英ヒット曲 “日本人になっちゃうよー”と歌うヴェイパーズ「Turning Japanese」 メンバーが振り返る

2023/02/15 16:25掲載
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The Vapors -  Photograph: Fraser Gray/Shutterstock
The Vapors - Photograph: Fraser Gray/Shutterstock
ザ・ジャム(The Jam)とも関係の深い、英ニュー・ウェイヴ&パワーポップ・バンド、ザ・ヴェイパーズ(The Vapors)が“日本人になっちゃうよー”と歌う1980年のヒット曲「Turning Japanese」。この曲について、ザ・ヴェイパーズのシンガー/ソングライターのデイヴ・フェントンが英ガーディアン紙の企画で振り返っています。「ヒットしないよりは一発屋でいたい」。

「ビートルズは僕が初めて見たバンドで、10歳の時、1963年にボーンマスのゴーモン映画館で見た。女の子たちが叫んでいて何も聞こえなかった。それ以来、バンドに入りたいと思うようになったんだ。

それから14年後、僕はギルフォードで弁護士として働いていたんだけど、“誰でもできるもの”としてパンクが登場した。ザ・ヴェイパーズは最初、男二人と犬一匹で演奏していた。ある夜、(英サリー州ウェイバリーの)ファーンコムの(ライヴ会場)スリーライオンズに20人集めたライヴをやったとき、そのうちの一人がザ・ジャムのブルース・フォクストンだった。彼は大規模な会場で行われるザ・ジャムのツアーで2回ライヴをしないかと言ってきた。僕たちはアンコールを受けて3回目もやったので、ブルースとジョン・ウェラー(ポール・ウェラーの父親でるザ・ジャムのマネージャー)が僕たちのマネジメントを申し出て、レコード契約を結んでくれた。

自宅のアパートで“Turning Japanese”を書いたんだけど、サビがうまくいかなかった。ある夜、午前4時に目が覚めたとき、頭の中に“Turning Japanese, I think I'm turning Japanese(日本人になっちゃう、日本人になっちゃうよー)”という言葉が浮かんだ。それを書き留めてから寝ると、翌日になってもそのセリフが効いていた。僕は日本文化に興味があったし、日本で出会った写真家の名前をとった“Letter from Hiro”という曲も作ったことがある。

その言葉や曲のタイトルにはあまり意味がなかった。純粋にラブソングとして作られたものだ。主人公が、牢屋のようになった寝室で、元カノの写真に思いを馳せている。僕自身の振られた経験をもとに作った。

ドラマーはこの曲が好きじゃなかった。レコーディングのとき、彼はただ“ドーン!”とやっただけだった。でも、サウンドが良かったので、Bメロ(ブリッジ)でそのまま使用した。

この曲は当時よく使われていた“オリエンタル・リフ”(※欧米が考えるアジアの音楽的イメージのステレオタイプ)で始めた。カール・ダグラスの“Kung Fu Fighting(邦題:吼えろ! ドラゴン)”でも聴くことができる。ジョン・ピールがこのシングルをかけ、デイヴ・リー・トラヴィスが(BBC)Radio1の番組『Breakfast Show』でかけ始め、そして、ある日には(自動的に電源が入るようにセットできる)アラーム機能付きラジオから自分の曲が流れて目を覚ました。オーストラリアでは1位、アメリカではザ・ジャムより大きなヒットを飛ばしたんだ。

この曲が心配のもとになったのかと聞かれたら、そんなことはないと答えている。僕たちに起こったことを嬉しく思っているよ。ヒットしないよりは、一発屋になったほうがましだ」