HOME > ニュース >

ニューオーリンズR&Bの王様/ロックンロールのサウンド形成にも貢献、ヒューイ・“ピアノ”・スミス死去

2023/02/15 15:01掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Huey
Huey "Piano" Smith and the Rocking Pneumonia Blues
ニューオーリンズR&Bの王様で、ロックンロールのサウンド形成にも大きく貢献した、ソングライター/ピアニストのヒューイ・“ピアノ”・スミス(Huey "Piano" Smith)が死去。ルイジアナ州の新聞The Advocateは、スミスが2月13日の夜にルイジアナ州バトンルージュで安らかに息を引き取ったことを、スミスの長女に確認しています。89歳でした。

長女は「父は私が知る限り、最も前向きな人でした。のんびりしていて、面白い人でした。最後の数時間までコメディアンでした」と話しています。

ヒューイ・“ピアノ”・スミスは1934年1月ニューオーリンズ生まれ。8歳の頃、近所に住む叔父がリロイ・カーの「How Long, How Long Blues」を弾くのを見て、見よう見まねでピアノを始めた。

1950年代初頭、スミスはニューオーリンズのクラブ・シーンで活動するようになる。ステージでは、ギター・スリム、アール・キング、スマイリー・ルイスらと共演。またレコーディング・スタジオの主要なセッション・プレーヤーとして、スマイリー・ルイス、アール・キング、ロイド・プライス、リトル・リチャードなどのレコーディングで演奏した。

スミスは1957年にヒューイ・“ピアノ”・スミス&ザ・クラウンズを結成。シングル「Rocking Pneumonia and the Boogie Woogie Flu」がビルボードのリズム&ブルース・チャートで5位まで上昇した。続いて「Don't You Just Know It」、「High Blood Pressure」、「Pop-Eye」などの楽曲を発表した。

1959年には、スミスは新曲として「Sea Cruise」を用意するが、エイス・レコードの社長ジョニー・ヴィンセントは、これを白人アイドル歌手、フランキー・フォードに歌わせて発売した。10代の白人であるフォードの方が、黒人アーティストであるスミスよりもレコードが売れると考えたためだった。結果、同曲はビルボードのBillboard Hot 100の14位を記録するヒットとなった。「彼がそれをやると言ったときは、胸が痛んだよ」とスミスは数十年後に語っている。

1960年代、スミスはロサンゼルスのインペリアル・レコードやニューオーリンズのインスタント・レーベルで作品を発表。エイス・レコード時代の成功を再現するには至らなかった。

最後の作品は1978年にレコーディングした『Rockin' & Jivin'』。ライヴ活動は1981年にニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルに出演したのが最後だった。

2000年、スミスはリズム・アンド・ブルース・ファウンデーションのロックンロール・パイオニア賞を受賞した。