HOME > ニュース >

テレヴィジョンがデビュー前にブライアン・イーノと行ったデモ・レコーディング 逸話を当時のA&Rが語る

2023/02/01 18:36掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Television 1975 Photograph: Richard E Aaron/Redferns
Television 1975 Photograph: Richard E Aaron/Redferns
テレヴィジョン(Television)は、1977年に1stアルバム『Marquee Moon』をリリースする2年前、ブライアン・イーノ(Brian Eno)と共に何曲かをデモ・レコーディングしました。後にブートレグとして出回るこのデモ・セッションはいかにして企画されたのか、またアイランド・レコードとの契約のために録音されたものでしたが、なぜアイランドは契約しなかったのか、当時アイランド・レコードのA&Rだったリチャード・ウィリアムズが英ガーディアン紙への寄稿文で説明しています。

「当時、私はロンドンでアイランド・レコードのA&R部門を任されており、何か新しいものを見つけたい強く思っていた。プログレでもグラムでもない、何か違うもの、可能性のある未来を感じるものを探していた。テレヴィジョンがそれになりそうだったので、アイランドがイギリスでリリースし始めたサルサ・レーベル、ファニア・レコードを通じて知ったスタジオで12月にデモ・セッションを行うことにした。

グッド・ヴァイブレーションは決していいスタジオではなかったし、テレヴィジョンのレコーディングに最適な場所でもなかったが、このセッションはあくまでラフなデモを作るためのもので、私がロンドンに持ち帰って、アイランドに契約する価値があることを納得させるためのものだった。その説得のために、ブライアン・イーノも一緒に連れて行った。ロキシー・ミュージックを脱退して2年後、彼は2枚のソロアルバムを発表し、自分の道を模索していた。私と同じように、彼もニューヨークで進化しているシーンに興味をもっていた。彼は、私が(ジョン)ケイルとニコをアイランドと契約したときにも協力してくれたし、その数ヵ月前にはレインボーで彼らとコンサートを共にしたこともあった。彼が演奏したポーツマス・シンフォニアのデビュー・アルバムは、彼にプロデュースの味を教えた。彼は、EGマネージメントとも契約していたので、興味を持ってくれるかもしれないと期待していた。

2日間かけてレコーディングし、1日かけてミキシングした。(トム)ヴァーレインの曲は5曲、“Marquee Moon”“Venus”“Friction”“Prove It”“Double Exposure”が録音され、(リチャード)ヘルの曲は1曲も録音されなかった。今にして思えば、彼がもうすぐバンドからいなくなることを示唆するものだった。マスターテープのコピーを持って帰り、すべてがうまくいっているように思えた。

しかし、ロンドンに戻ると、私自身のバンドへの思いを伝えるのが難しいことがわかった。デモを聴いて好意的な反応を示した人は、会社にはほとんどいなかった。当時のアイランドは、小さな独立系レーベルで、その魔法のような成功は、創業者であるクリス・ブラックウェルの耳と、営業やマーケティングを含め、誰よりも音楽を大切にする会社の熱意が結集していたこと、この2つの要素に基づいていた。もし、そのような要素が1つもないのであれば、おそらく時間の無駄だったでしょう。

今にして思えば、テレヴィジョンをロンドンに連れて行って、みんなに見てもらうのがよかったのかもしれないが、それは1年早すぎたかもしれない。トムは失望し、私も失望し、次第に連絡が取れなくなった。やがて彼はヘルをバンドから締め出し、フレッド・スミスを迎え入れ、彼らの後援者であるテリー・オルクが作ったレーベルからリリースされたデビュー・シングル“Little Johnny Jewel”からベースを弾くようになった。やがてエレクトラと契約し、1977年にこの時代の名盤のひとつである『Marquee Moon』を発表した。私たちが一緒に録音した5曲のうち4曲は、イギリス人エンジニアのアンディ・ジョンズによってニューヨークのA&Rスタジオで再録音された。まさにトムがグッド・ヴァイブレーションで聴きたがっていた美しい鮮明さとクリアさを備えていた。

結局、アイランドのテープは広くブートレグで出回り(私はコピーを持っていたが、私とは関係ない)、最初はインタビューで、後にはヘルや(リチャード)ロイドの自伝で、この話の様々なヴァージョンが出回るようになった。

ヴァーレインはジャーナリストに、デモの出来が気に入らなかったと語り、EGマネージメントがこのテープをブライアン・フェリーに聴かせたに違いないと主張し、フェリーがロキシー・ミュージックの次のアルバム『Siren』(1975年秋発売)でアイデアの一部を借りたと思ったようだ。よく聴けば分かるが明らかな類似性はないが、ヴァーレインは他人を疑いやすいことで知られていた。初期のライヴで彼はルー・リードからカセット・レコーダーを没収したが、それは自分のアイデアを盗もうとしていると考えていたからだった。

実際には、トムを怒らせたのはデモの制作であり、その責任をイーノに押し付けたんだ。インタヴューでヴィヴィアン・ゴールドマンに“全体的にベンチャーズみたいな音だった、とてもひどい音だった。どうしてこんなにひどい音なんだ、と何度も言ったよ”と言っていた。イーノは“どう言う意味だ?僕にはとてもいい音に聞こえたよ”と言っていた。トムは当時、自分がいかに完璧主義者で、デモにさえ完璧を求めるかということに気づかなかったと、私を責めた方が正しいかもしれない」

以下はネットにある「Marquee Moon--Demo」