Aerosmith and Run-D.M.C., photo via Twitter/@RecordingAcad
エアロスミス(Aerosmith) ×
Run-D.M.C. の「Walk This Way」。Run-D.M.C.の
ダリル "D.M.C." マクダニエルズ(Darryl “D.M.C.” McDaniels) は、この歴史的ラップ・ロック・コラボレーションについて、英Classic Rockのインタビューの中で改めて振り返っています。
「ラップのレコードが作られる前は、ラップするためのビートを探さなければならなかったんだけど、“Walk This Way”は俺らのお気に入りの一つだったんだ。“Walk This Way”には何かがある。DJはそれをかける。ビートがとてもクールで、ギターの音の入り方もクールだ。そして、DJはそれをビートの始まりまで戻すんだ。
ある日、スタジオでビートをループさせていたら、(プロデューサーの)リック・ルービンが入ってきた。彼は“よう、それが何か知ってる?”と言ったので、俺とジェイ(ジャム・マスター・ジェイ)は“Toys In The Atticだろう”と言った。俺たちはグループのことを知らなかったから、ただジャケットに書いてあることをそのまま言ったんだ。彼は“それはエアロスミスのWalk This Wayだ”と言って、エアロスミスについて教えてくれた」
その後、ルービンがRun-D.M.C.にこの曲のカヴァーを提案しますが、D.M.C.は最初拒否しました。
「俺とRun(ジョゼフ "Run" シモンズ)は“このロック・ラップは度を超している。俺たちを破滅させるつもりか。それは偽物だろう。ヒップホップ界では誰も好きにならない”と言っていた。でも、彼は俺とジェイを説得して、座って歌詞を聴くようにと、レコードに針を置いたんだ」
Run-D.M.C.は知りませんでしたが、ルービンはすでに
ジョー・ペリー(Joe Perry) と
スティーヴン・タイラー(Steven Tyler) にニューヨークのマジック・ベンチャーズ・スタジオに立ち寄るように頼んでいました。
「スタジオに入り、軽いヴァージョンを作った---作りたくなかったからね。で、俺らは帰った。8時間後、スタジオに戻るよう電話がかかってきた。スタジオに入ると、ジョー・ペリーがリフを弾いていて、スティーヴン・タイラーがブースで歌詞を書いてた。俺とRunは、自分たちがもっと頑張らなきゃいけないと思った。ジェイは“この曲をスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーのレコードと考えるな、この歌詞をRun-D.M.C.の歌詞だと思え”と言っていた。それで俺たちはブースに入ったんだけど、それがすごくうまくいって、スティーヴンが“お前らと一緒にやらせてくれ”と言ったんだ」
D.M.C.は、エアロスミスの2人の第一印象をこう振り返っています。
「スティーヴンはとてもフレンドリーで、ジョー・ペリーは一言もしゃべらなかった。彼はうなずいて、ギターを弾きに向こうに行って、リフを完成させた。“演奏の準備はできたか”というと、彼は首を振ってイエスと言っていた。スティーヴンはとてもフレンドリーで好奇心旺盛、“わあ、ジェイ、DJやってよ、どうやってDJやるのか見せてよ”みたいなことを言っていた。彼はまるで小さな子供のように、興奮して熱狂していたよ」
Run-D.M.C.が「Walk This Way」をリリースすると大反響となりました。D.M.C.は「みんなびっくりしていた。反応が圧倒的だったので、俺とRunはとても困惑したよ。大ヒットするとは思っていなかったけど、みんな気に入ってくれたんだ」
『Raising Hell』は全米アルバム・チャートで6位、「Walk This Way」は全米シングル・チャートで4位を獲得した。エアロスミスはこの成功からさらなる恩恵を受けた。彼らはすぐに依存症を克服し、大成功のカムバックを楽しんだ。
D.M.C.は、この曲が成し遂げたことについてこう話しています。
「“史上最高のラップレコード”だと言われるし、“最高のビデオ”だとも言われる。VH-1が発表した『Top 50 Videos Of All-Time』では、俺たちが1位になったんだ。この曲は、世代を超えた音楽をひとつにするもので、音楽が本来すべきこと、つまり“進化と融合”をもたらすものだったんだ」
VIDEO