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高橋幸宏が死去

2023/01/15 13:01掲載(Last Update:2023/01/15 17:55)
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高橋幸宏
高橋幸宏
高橋幸宏が死去。2020年に脳腫瘍で手術を受けたと公表。療養生活を続けていました。70歳でした。

以下、所属事務所のヒンツ・ミュージックの声明より

「ご報告

弊社所属、高橋幸宏(たかはしゆきひろ)が、2023年1月11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため、永眠いたしました。

皆様には生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに、ここに謹んでお報せ申し上げます。後日、お別れの会を執り行う予定です。

なお、大変恐縮ではございますが、個別のお問い合せ、取材につきましては差し控えてくださいますよう、何卒ご理解とご協力の程、よろしくお願い申し上げます。

2023年1月15日
株式会社ヒンツ・ミュージック

(以下、喪主・高橋喜代美から)

2020年夏に判明した脳腫瘍の摘出手術は成功裡に終わり、その後は復帰に向け度重なる治療と入退院を繰り返しながらリハビリに真摯に向き合ってきました。
昨年11月よりは自宅にて療養しておりましたが、年末から容態が悪化し帰らぬ身となりました。
本人は元より家族親族と最善を尽くしてまいりました。
なによりも携わっていただいた医療関係者の皆様に深く感謝致します。

喪主
高橋喜代美」

高橋幸宏は東京都出身。1972年、加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドに参加。欧州でも人気を得た。1978年に細野晴臣、坂本龍一と共にYellow Magic Orchestra(YMOを結成。シンセサイザーを駆使したサウンドで、日本にテクノポップ旋風を巻き起こし、海外ツアーも成功させた。バンドの代表作「ライディーン」を作曲し、ヒット曲「君に、胸キュン。」などでヴォーカルも担当した。デザイナーの顔を持ち、メンバーが着用した中国の人民服風の赤い衣装を自らデザイン。当時流行した、もみ上げをそり落とす髪形テクノカットと共にビジュアル面でも人気を支えた。

ソロとしても積極的に活動。1981年には鈴木慶一とのユニット、THE BEATNIKSを結成。2008年から原田知世、高野寛らとpupa、2015年から小山田圭吾らとMETAFIVEを組むなど多くのバンドでも活躍した。ほかのミュージシャンのプロデュースも行い、俳優として大林宣彦監督の映画に主演するなど、幅広い活動で知られた。