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ジョン・レノンとオノ・ヨーコのかつてのパーソナルアシスタント 2人について逸話を語る

2023/01/04 17:03掲載
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John Lennon & Yoko Ono
John Lennon & Yoko Ono
1969年から1973年まで、ジョン・レノン(John Lennon)オノ・ヨーコ(Yoko Ono)のパーソナルアシスタントとして一緒に生活し、一緒に仕事をしていたダン・リヒター。2人について、英デイリー・テレグラフ紙で語っています。

現在83歳の俳優でパントマイマーのリヒターは、1968年のスタンリー・キューブリック監督の名作『2001年宇宙の旅』のオープニングシーンにも出演しています。

リヒターがヨーコと初めて会ったのは1964年の東京でした。当時、2番目の夫である映画プロデューサー兼アートプロモーターのアンソニー・コックスと結婚していたヨーコはリヒターと最初の妻ジルとロフト・スペースをシェアしていました。その後も、リヒターとジルはヨーコとの友情を保ち、1969年の夏にジョン・レノンとヨーコがロンドン郊外の家ティッテンハースト・パークを購入した後、レノンとヨーコと一緒に住むことになりました。

リヒターは、アビー・ロード・スタジオでのレコーディング・セッション中に2人にヘロインを供給したことで知られていますが、「使って欲しくなかった」「ストリート・ヘロインを使って自殺するようなことは、本当にしてほしくなかったからね」と彼はため息をつきながら、そう言っています。

当時、リヒターはヘロイン中毒をやめようとしており、レノンとヨーコも同様でした。リヒターは、レノンとヨーコが自分たちの習慣を捨てていくスピードに脱帽したという。「彼らはまだ大麻を吸っていたけれどね。ジョンは酒を飲まないようにしていた。彼は暴力的な酔っぱらいで、酒を飲むと最悪の面が出るから、一緒にコカ・コーラをちびちび飲んでたよ」

レノンとヨーコの様々な事務仕事を手伝っていたリヒターは、2人に説得され、1971年にスタッフになった。リクターによると、2人は気さくな雇い主だったという。

リヒターによると、レノンは、他のビートルズ・メンバーに遅れをとらないようにしようと決意していたという。リヒターは、レノンがジョージ・ハリスンのフリアパークの邸宅から戻ってきたとき、「ジョージの窓から水が見えた。ここに湖を作れないかな?」と言ったと回想しています。ポール・マッカートニーについては「ポールが“Yesterday”や“Hey Jude”のような甘いメロディーを書けることに彼は頭を悩ませていた。彼はそれができなかった。彼はあまりに辛辣というか、あまりに知的すぎた......」と回想しています。

リヒターはまた「ジョンが誰かにビートルズ楽曲のリストを作らせて、どれが彼の曲で、どれがポールの曲かを言わなければならなかった」時のことを振り返り、首を横に振り、ティッテンハーストでの生活に険悪な空気が流れていたことを思い出しています。

リヒターは「バンド演奏のある高級レストランに行ったときの思い出」の笑い話を披露します。「ジョンが入ってくると、彼らは“Yesterday”を演奏し始めたんだ。ジョンはすごく怒っていたよ」。

リヒターは「ジョンはビートルズを解散させるためにヨーコを利用したと思う」と語っています。「その時点でジョンはビートルズを終わらせたかったんだ・・・彼にとって大きな問題だった。どうやってビートルズを解散させるか? 彼らは何百万ドルもの価値があった。アップルにとって大きなビジネスだった。ポールは永遠に続けるつもりだった。ジョンはヨーコなしにはどこにも行かないし、何もしないと決めていた。だから彼女はスタジオのベッドにいた......」

リヒターはレノンの警備について常に強く意識していたという。「ジョンは狙われていることを自覚していた。熱狂的なファンからいつも手紙が来ていた。ティッテンハーストの門に人がいたよ」

リヒターはニューヨークのプラザホテルでボブ・ディランに会ったときのことを、こう振り返っています。リヒターは、安全を確認するために最初に車から降りたとき、ポケットに手を入れながら急速に近づいてくる男に恐怖を感じたという。「死ぬかと思った」と彼は言う。「彼は、ホテルの警備員で、私たちに助けが必要かどうかを確認するために来たのだとわかった。その後、ボブはずっとそこに立っていて、全く気付かれずに、迷彩服で、笑っていたことに気付いたんだ」。

リヒターは、もしレノンとまだ一緒に仕事をしていたら、1980年にマーク・チャップマンに銃撃されたダコタビルの玄関をレノンが使うことを「絶対に」容認しなかっただろうと言っています。「あのドアは危険な場所だったから避けるべきだった。それに彼が使うことのできる通用口もあったはずだ」

リヒターがヨーコに最後に会ったのは3年前、ロサンゼルスで行われたヨーコのトリビュート・コンサートでした。

「舞台裏で会った彼女は車椅子に乗っていた。僕たちはただお互いの手を握り合って、二人とも泣き出してしまった。彼女がどんなに弱っているかがわかった。僕は“なんてことだ、ヨーコ......みんながあなたをひどく扱っていた頃を思い出すよ......なのに、あなたはここではスタンディングオベーションを受けている!”と言いました。とても感動的でした」