ポインター・シスターズ(Pointer Sisters)の創設メンバー、アニタ・ポインター(Anita Pointer)が12月31日に死去。家族が声明を発表。74歳でした。
アニタの広報担当ロジャー・ニールはThe Hollywood Reporterの取材に対し、「彼女は癌と非常に勇敢な戦いをしました。亡くなった時、彼女は家族に囲まれていました」と語っています。
以下、アニタの姉ルース、兄弟アーロンとフリッツ、孫娘のロキシー・マッケイン・ポインターによる共同声明より。
「私たちはアニタの喪失に深く悲しんでいますが、彼女が今、娘のジェイダと姉妹のジューン、ボニーと一緒にいて安らかに眠っていることを知って慰められています。彼女は私たち全員を長い間、身近に、そして一緒にいてくれた存在でした。
私たち家族に対する彼女の愛は、私たち一人一人の中に生き続けるでしょう。この悲しみと喪失の時期、どうか私たちのプライバシーを尊重してください。天国はアニタがいることで、より愛に満ちた美しい場所となります」
アニタは1948年1月カリフォルニア州オークランド生まれ。6人きょうだいの4番目で、彼女は姉のルース、妹のボニー、ジューンと共に幼い頃からゴスペルに親しみ、聖歌隊で歌っていた。
ポインター・シスターズの起源は、ボニーとジューンが「ポインターズ・ア・ペア」という名前でナイトクラブでパフォーマンスを始めた1969年にさかのぼる。すぐにポインター・シスターズと改名し、妹のアニタが加わってトリオに。アトランティック・レコード契約後の1972年12月、ルースが加入して4人組となった。
1972年にブルーサム・レコードに移籍。1973年にデビューアルバムをリリースし、アラン・トゥーサンが作曲した「Yes We Can Can」はビルボードのポップチャートで11位を記録するヒットとなった。1975年には「Fairytale」でグラミー賞の最優秀カントリー・ヴォーカル・グループ賞を受賞した。1976年、ポインター・シスターズは『Car Wash』で長編映画デビューを果たした。
1977年にボニーがソロ転向のため脱退、ポインター・シスターズは3人組となるが、その後も「Jump (For My Love)」「Automatic」「Fire」「Slow Hand」などのヒットを放つ。1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、「We Are The World"」のコーラスを担当した。
2015年、アニタは体調不良のためグループから引退した。
ポインター・シスターズはキャリアを通じて3つのグラミー賞を受賞。2005年にはヴォーカル・グループの殿堂入りを果たし、ソウル・トレイン・ホール・オブ・フェイムにも殿堂入りした。