HOME > ニュース >

パンクの女王 ファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッド死去

2022/12/30 10:27掲載(Last Update:2022/12/30 10:56)
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Vivienne Westwood
Vivienne Westwood
パンク・ファッションの生みの親で“パンクの女王”として知られた、英国人ファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)が死去。彼女のSNSアカウントで発表。81歳でした。

以下、声明より

「ヴィヴィアン・ウエストウッドは、今日、南ロンドンのクラパムで、家族に囲まれながら安らかに息を引き取りました。

ヴィヴィアンは最後の瞬間まで、好きなことをやり続け、デザインをし、アートに取り組み、本を書き、世界をより良いものに変えていきました。彼女は素晴らしい人生を送りました。この60年の間に彼女がもたらした革新と影響は計り知れず、これからも続いていくことでしょう。

ヴィヴィアンは自分を道教の信者だと考えていた。彼女は“道(タオ)の精神システム。今日、これほど道が必要とされていることはないでしょう。道は、自分が宇宙に属しているという感覚を与えてくれ、人生に目的を与えてくれる。自分が生きられる、生きるべき人生を生きているというアイデンティティと強さを与えてくれます。自分の個性を最大限に生かし、この世の生を全うする”と書いた。

世界は、ヴィヴィアンのような、より良い変化をもたらす人を必要としているのです」



ヴィヴィアン・ウエストウッドは1941年4月8日、イギリス中部チェシャーで、ヴィヴィアン・イザベル・スウェア (Vivienne Isabel Swire) として生まれる。ウエストミンスター大学で銀細工のコースを受講したのを機にジュエリーの仕事を始めるが、労働者階級の少女が芸術で生計を立てられるという考えに幻滅した彼女は、工場の仕事を始めるために退職し、副業として自分のジュエリーを制作した後、美術教師となる。

1962年にフーバー工場の見習いデレク・ウェストウッドと結婚した後、長男ベンジャミン・ウェストウッドを出産。しかし、主婦としての人生に希望を見出せなかった彼女は数年後に離婚し、新たな人生を歩み始める。その頃、無政府主義政治団体(シチュアシオニスト・インターナショナル)に属して活動していたアナーキストのマルコム・マクラーレンに出会い、2人は結婚。1967年に次男のジョセフを出産した。

1971年、ウエストウッドは教職を辞して本格的に服作りに取り組み、マクラーレンと共に、ブティック「Let It Rock」をキングズ・ロードにオープンさせる。1974年に店名を「SEX」と改名し、新たなブランドの展開を開始する。

1975年、マクラーレンは店の従業員や常連客を集めてバンドを結成。店名に絡めてセックス・ピストルズとしてデビューさせた。ウエストウッドはパンクのイメージ作りをリード。SMの要素を採り入れ、破れたTシャツ、安全ピンを使ったアクセサリー、原色のツンツン・ヘアーなどを特徴とするパンクのスタイルを流行させ、「パンクの女王」と呼ばれることになった。マクラーレンがセックス・ピストルズのマネージャーになると、バンドは夫妻のデザインを身につけるようになり、ブリティッシュ・パンクのファッションの代名詞となり、2人は永遠に歴史に残ることになった。

その後、ウエストウッドはデザインの傾向を19世紀以前のヨーロッパの衣装からインスパイアされた、エレガントな路線に変えた。2006年には、ファッションデザイナーとしての貢献によってデイム (DAME)の称号を授与されている。