20年前の2002年12月22日、音楽界は偉大なアーティストの一人、
ザ・クラッシュ(The Clash)の
ジョー・ストラマー(Joe Strummer)を失いました。没後20年にあわせ、ストラマーの妻ルシンダ・テートがサイトConsequenceのインタビューに応じています。亡くなる1ヶ月ほど前に実現したミック・ジョーンズとの共演や、ロックの殿堂入り式典でのザ・クラッシュ再結成計画の逸話、そしてストラマーの人類愛について話しています。
ストラマーが亡くなる1ヶ月ほど前の11月15日に英ロンドンで行われた消防士のためのチャリティー・イベントでは、ザ・クラッシュのバンドメイト、
ミック・ジョーンズ(Mick Jones)がステージに飛び入りし、約20年ぶりにステージ上で再会しました。
テートは、このイベントでのサプライズ・パフォーマンスについてこう話しています。
「ミックはライヴに来ていたんだけど、彼が(ステージに)上がることは全く予定されていなかった。彼はやってきて“コートを持ってくれ、上がる”と言った。誰も予想していなかった」
ストラマーが亡くなる数週間前に、ザ・クラッシュがロックの殿堂入りを果たすことが発表されました。ストラマーが亡くなっていなかったら、2003年のロックの殿堂入りの式典でザ・クラッシュが再結成される見込みだったことについて、テートはこう話しています。
「ジョーはザ・クラッシュがロックの殿堂で演奏することを絶対に望んでいた。でも、それはみんながやりたがっているかどうかにかかっていると彼は言っていたと思う。それは当たり前のことじゃなかったから。だから、彼はそれを望んでいたと思う。そう、彼はザ・クラッシュがロックの殿堂で演奏することを望んでいたと思います。
でも同時に、彼は(当時活動していたバンド)ザ・メスカレロスをとても誇りに思っていた。彼はザ・メスカレロスのソングライティングとクリエイティブ性を大いに発揮していた。彼は必ずしもザ・クラッシュを(長期的に)再結成しようとは考えていなかったと思う。でも、彼は殿堂入りを目指していたのは間違いない。彼はとても光栄に思っていた。それは彼にとって世界を意味していた」
テートはまた、ストラマーについてファンに知っておいてほしいことがあるかどうか尋ねられ、こう話しています。
「彼はとても親切で思慮深く、皆のためになることを信じ、皆のために時間を使い、純粋に人が好きだったということを人々に知ってもらいたい。彼の人類愛は並外れたものだった。彼はとても親切だったと思う。フェスに行って、私が焚き火のそばで眠って目を覚ますと、頭の下に彼の丸めたTシャツがあり、体には毛布がかかっているような人でした。彼はいつも他の人に気を配っていた。
彼はとても思いやりがあり、人を深く思いやることのできる人でした。ザ・クラッシュの歌詞では、しばしば怒れる若者のように描かれていると思います。しかし、彼は成熟し、まだ怒っていて、人々の権利とすべての良いことのために戦っていた。彼は素晴らしい家庭人だった。そして素晴らしい友人でもあった」