プライマル・スクリーム(Primal Scream)は、メンバーの
マーティン・ダフィ(Martin Duffy)が亡くなったことを正式に発表。ブライトンの自宅で転倒し、脳に損傷を負ったあと、12月18日に亡くなっています。バンドのフロントマンである
ボビー・ギレスピー(Bobby Gillespie)は長文の追悼文を公開しています。
プライマル・スクリームや
フェルト(Felt)での活躍で知られるキーボーディストの
マーティン・ダフィ(Martin Duffy)は55歳でした。
「これを書くのは難しい。僕たちは、死について、礼儀正しい平凡な言葉以外、どのように話したらよいのかわからない。言えることは、僕たちの魂の兄弟であるマーティン・ダフィが日曜日(12月18日)に亡くなったということだけだ。ブライトンの自宅で転倒し、脳に損傷を負った。プライマル・スクリームのメンバーは皆、とても悲しんでいる。マーティンのことはフェルトの10代の頃から知っている。彼は僕たちのアルバムの1枚目から最後までキーボードを演奏してくれた。1991年に、ついにバンドに加入した。マーティンはとても特別な人物だった。
彼は音楽に対して深い精神的なレベルでの愛と理解を持っていた。彼にとって音楽はすべてだった。彼は文学を愛し、よく読み、博学だった。独学者だ。深い思索を持ち、世界や他の文化に好奇心を抱いていた。いつも街中の博物館を訪ねたり、人里離れた場所で新石器時代の石を探したりしていた。意見がはっきりしていて、頑固なところもあった。彼は、イギリス音楽界の仲間だけでなく、 ジェイムス・ルーサー・ディッキンソン、ロジャー・ホーキンス、デヴィッド・フッド、プロデューサーのトム・ダウドといった古参の米国人ミュージシャンからも一目置かれるレベルのピアノ演奏をしていた。
僕は1997年にアビー・ロードで行われたドクター・ジョンのアルバムのためのセッションを目撃した。そこでは、彼のレコード会社が若いイギリスのインディーズ・ミュージシャンを集めていたのだが、マック・レベナック(=ドクター・ジョン)はマーティンが演奏を始めるまで退屈そうで、セッションに興味がなさそうだった。しかし、突然ドクターがファンキーなピアノを弾き始めた。僕はそれがマーティンの演奏を聴いたことによるものだとすぐにわかり、セッションはようやく活気づいた。
マーティンは、僕たちの中で最も音楽的な才能があった。彼のスタイルは、カントリー、ブルース、ソウルの要素を組み合わせたもので、そのどれもが神から与えられた天性の感覚を備えていた。彼は、同じものを2度演奏することはなかった。ダフィが燃えているときは“録音”ボタンを押した方がいい。彼は“その瞬間”が全てだった。彼のタイミングは独特で、ファンキーで、常にビートの後ろにいた。
ジョージ・クリントンもマーティンのことを気に入っていた。シカゴでのセッションで、ジョージが彼に“ダフィー、教会に行け!”と言ったのを覚えている。そして、彼はそうした。
マーティンはまた、ユニークなウィットを持っていた。彼は不条理なこと、超現実的なこと、ばかげたことを見抜く鋭い目を持っていた。彼は笑い、音楽を奏でるために生きていた。彼はスクリームのみんなに愛されていた。美しい魂だ。僕たちは彼がいなくなることを寂しく思う。
ボビー・ギレスピー」