ラスカルズ(The Rascals)のドラマー、
ディノ・ダネリ(Dino Danelli)が死去。ダネリとバンドメイトのジーン・コーニッシュのSNSアカウントで発表。78歳でした。
ラスカルズのエキスパート、ジョー・ルッソは、ダネリのFacebookページに、ダネリのスポークスマンとして以下を投稿しています。
「私たちの愛するディノが今日亡くなりました。彼の素晴らしい才能や、彼が私に話してくれた彼の人生の経験、そして私たちが友人や協力者として過ごした経験については、近いうちにもっとお話ししたいと思います。皆さんには、これからも彼の才能に感謝し、愛を送ってほしいです。また、彼の様々な活動を応援していただきありがとうございました。皆さんがいたからこそ、彼はミュージシャンやアーティストになるという夢を生きることができたのです。皆さんに祝福を!」
またジーン・コーニッシュは自身のFacebookページに「ディノ・ダネリの逝去を悲しみと共にお伝えしなければなりません。彼は僕の兄弟であり、今まで見た中で最も偉大なドラマーでした。この瞬間、僕は打ちのめされています。安らかに眠れ、ディノ。愛してるぜ、兄弟」と書いています。
ディノ・ダネリは1945年7月、ニュージャージー州ジャージー・シティ生まれ。いくつかのバンドなどでライヴをこなした後、1964年にフェリックス・キャヴァリエ、エディ・ブリガッティ、ジーン・コーニッシュと共にヤング・ラスカルズを結成。1968年にラスカルズに改めた。
ラスカルズは1965年から1969年にかけ、13曲を全米TOP40へ送り込むほどの人気を博し、「Good Lovin'」 (1966年)、「Groovin'」 (1967年)、「People Got to Be Free (自由への讃歌)」 (1968年)などがNo.1ヒットを記録した。ソウル、ジャズの要素を取り入れ、複雑なアレンジと楽器編成でこの時代のロックポップサウンドの幅を広げた。彼らのサウンドは、ブルー・アイド・ソウルとも形容されることもあった。
ダネリのドラミングは、グループの成功に不可欠だった。ラスカルズのステージで、彼はジャズ・チョップを披露し、バンドの唯一無二なロック・サウンドを定義するのに役立ち、彼のスティック・ツイストはラスカルズのルックスを定義するのにも役立った。
ダネリは1972年に解散するまでバンドに残り、その後、さまざまなバンドのツアーに参加。ダネリは自分のグループ、ブルドッグ(Bulldog)を結成し、後にリトル・スティーブン&ザ・ディサイプルズ・オブ・ソウルにも参加した。
ラスカルズは1997年にロックの殿堂入りを果たした。ダネリは2010年と2012〜2013年に行われたラスカルズの再結成にも参加した。