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元ジューダス・プリーストのK・K・ダウニング 「最も忘れられないプリーストのライヴ11選」

2022/11/07 19:01掲載
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K.K. Downing
K.K. Downing
ジューダス・プリースト(Judas Priest)K・K・ダウニング(K.K. Downing)は、最も忘れられないプリーストのライヴを選んでいます。USフェスティバル、ライヴエイド、バンド初のライヴ、AC/DCやキッスとのツアーなど、忘れられない11のライヴについてMetal Edge Magazineのインタビューの中で語っています。

1. The US Festival, San Bernardino, California (May 29, 1983)

「最初はこれ。大規模なものだったよね? 今まで演奏したライヴの中で最大の観客数だった。ステージの上は100万度を超えていたね。ヴァン・ヘイレン、オジー、スコーピオンズという素晴らしいラインナップだった。彼らはそれをヘヴィ・メタル・デイと呼んでいた。大げさに聞こえるかい? でも、人の出入りが激しいかったのは、そのせいだったんだ。あの場所であの人混み、道路の交通量は、俺たちがこれまで経験したことのないものだった。あれは本当にいい思い出だよ。今ならDVDもあるし、追体験したい人はどうぞ」



2. Royal Albert Hall, London, England (March 31, 2006)

「ロイヤル・アルバート・ホールでの演奏は、とても大きなものだった。1860年か1870年くらいに建てられ、普通は白鳥の湖やバレエを観に行くような、英国版カーネギーホールみたいな、とても特別な昔の会場なんだ。でも、そこで多くの人が演奏できるようになったので、俺は何年もの間、そこでたくさんのライヴを見てきた。60年代にはよく行ったよ。1968年のクリームの解散コンサートも見たし、ジミ・ヘンドリックスのコンサートも見た。まだ俺がギターを弾く前の幼い頃の話だよ。

ロジャー・ダルトリーに招かれて、ティーンエイジ・キャンサー・トラストのチャリティーのために、スコーピオンズやイアン・ギランが出演するロック・デーのヘッドライナーとしてプリーストがそこで演奏することになったとき、信じられないような思いだった。偉大なジミ・ヘンドリックスの足跡をたどり、ジャック・ブルースの足跡をたどり、そしてクリームのライヴを見たとき、エリック・クラプトンがステージ左にいたそのステージの右に俺が立っているのを想像してみてくれ。とても光栄なことだった。実は、俺の自伝『Heavy Duty: Days and Nights in Judas Priest』の表紙の写真は、このライヴを撮ったものなんだ。とてもクールだよ」

3. Madison Square Garden, New York City (June 18, 1984)

「マディソン・スクエア・ガーデンは、アメリカで非常に格式の高い会場の1つだから入れておかなければならないね。そこで行われたテニスのトーナメントやボクシングの試合を何度もテレビで見てきたので、1984年のDefenders of the Faithツアーで、ついにそこで演奏できるというのは大きな出来事だったんだ。でも開催されたけど、あの時は客席が壊されて何百万ドルもの損害を出した(笑)。いろいろな数字が飛び交ったけど“65万ドル相当の損害を出したのだから、お前たちは悪者だ”と言われたのを覚えているよ。どうやってこんなに早く集計したのかわからないけどね! そのあと、俺たちは出入り禁止になった。でも結局、保険会社が新しい席をたくさん用意してくれたので、また入れるようになったんだ。その後、グレン(ティプトン)と一緒にボルボ・マスターズというテニスの大会に行ったとき、俺たちは忍び込んで支配人に見つかってしまった。彼は新しいシートについて俺たちに感謝していたよ」

4. Live Aid, JFK Stadium, Philadelphia, Pennsylvania (July 13, 1985)

「これをライヴ・ギグ・リストから外すわけにはいかないだろう? かなり特別だったね。『Turbo』のレコーディングを終えて、バハマにいたから、フィラデルフィアに行くのに遠くはなかった。飛行機に飛び乗って、3曲をステージでやった。素晴らしかったよ。楽屋にいると、クロスビー、スティルス&ナッシュが演奏していたと思うんだけど、その人たちとバックステージでちょっとした挨拶ができた。まるで大きなベルトコンベアーみたいだった。演奏したあと、ぶらぶらして、一番最後にまた演奏した。誰かが“もし誰かフィナーレに出たい人がいたら、さっさと行ったほうがいいよ”と言っていた。ミック・ジャガーもティナ・ターナーもホール&オーツもいて、俺はその人たちに囲まれて、ただただ一生懸命やった。明らかに信じられないような時間だったね」



5. Rock Pop Festival, Dortmund, Germany (December 18, 1983)

「1983年はいろいろなことをやったけど、この屋内フェスティバルはすごいことになった。オジー、クロークス、スコーピオンズ、デフ・レパード、クワイエット・ライオット、アイアン・メイデンなど、あらゆるバンドが集まった。会場の両端にステージがあって、すごいことになっていた。USフェスティバルのようなものだったけど、それ以上だったね。このフェスティバルをやるために飛行機でやってきて、ライヴをやったらすぐに飛行機に乗って飛んだ。雰囲気は最高で、メタル一色だったのを覚えている。もし誰かがビデオをチェックする機会があれば、見る価値があると思う。旋風を巻き起こすような時間だったし、特別な瞬間だった」



6. St. John’s Hall, Essington, England (March 6, 1971)

「次は1971年3月、ジューダス・プリーストの最初のライヴに話を戻そう。ミッドランズ地方の小さな小さな町のワーキングメンズクラブでのことだった。ワーキングメンズクラブは、町の労働者たちがたむろし、ドミノやカードで遊んだり、安いビールを飲んだりする場所だった。社交的な場所だったので、そのクラブでは、娘や息子に楽しんでもらうために、バンドがステージで演奏することもよく行われていた。その時のライヴは、俺、ヴォーカルのアル・アトキンス、ベースのイアン・ヒル、そしてドラマーのジョン・エリスという、プリーストのオリジナル・ラインアップだった。俺たちはそれを楽しみ、実際にアンコールを何度もした。自分たち独自の曲と、Quatermassというキーボードとギターのいない3人組バンドのカヴァーもいくつかやった。彼らの曲では“Black Sheep of the Family”や“Post War Saturday Echo”などをやった。確かギャラは6ポンドだった」

7. Highway to Hell tour with AC/DC (1979)

「AC/DCとやったHighway to Hellツアーはとても楽しかったので外せないね。もちろん、残念なことに、ボン(スコット)がやった最後のツアーだったことは誰もが知っている。みんなとはとてもいい時間を過ごせた。彼らは俺たちにとても親切で、とても気品があった。AC/DCは、俺らに観客との接し方やサポートバンドへの接し方を教えてくれた偉大なバンドのひとつだ。ファンにとっても素晴らしいライヴだった。79年当時、俺らはちょうどブレイクしようとしていたときだったから、あのツアーは、俺たちが行きたいところに行くのに本当に役立ったよ」

8. Dynasty tour with Kiss (September, 1979)

「このツアーのことを言わなければならないのは、もしかしたら少しミスマッチだったのではないかと思われているかもしれないから。でも、俺はそうは思わない。俺たちはキッスと一緒にプレイするのを本当に楽しんだ。また彼らは俺らにとても良くしてくれたし、一緒に遊んだり、ビリヤードをしたり、楽しいことを一緒にやった。それ以来、ジーン(シモンズ)たちと一緒に過ごす機会があったんだけど、彼らはメガ・スーパースターなのに、とても誠実で、地に足がついているんだ。彼らはニューヨークのパラディアムに俺らを見に来てくれて、大きなステージに立つチャンスを与えてくれた。だから、彼らには本当に感謝している。素晴らしい時間だった」

9. British Steel tour with Iron Maiden (1980)

「アイアン・メイデンが俺らをサポートしてくれたブリティッシュ・スティール・ツアーも含めなければならないね。最初はイギリスでやって、それからアメリカで同じツアーをやったんだけど、ジューダス・プリーストとアイアン・メイデンが同じツアーに参加したことは、俺にとっては、 今日我々が知っているようなヘヴィメタルの統合のようなものだった。レザーとスタッズに身にまとった最初のツアーで、『British Steel』のアルバムとそのほかの曲もやった。バンドにとっても、我々が知っているヘヴィメタルにとっても、多くの道を切り開いたと思う」

10. Day on the Green, Alameda County Coliseum, Oakland, California (July 23-24, 1977)

「あれは何というライヴだったんだろう。俺たちはレッド・ツェッペリンのサポートだった。クラブで演奏していた頃だったから、信じられないようなことだった。東海岸の小さな劇場で演奏していたんだけど、そこは当時のイギリスのメタルの拠点のような場所だった。当時はクラブで演奏していたんだけど、ギターを放り投げたり、天井のポリスチレン製の四角いものを壊したりして、その代金を支払っていたのを覚えているよ。で、ある人から“レッド・ツェッペリンと一緒にカリフォルニアで演奏しないか”と言われたので、“よし、どっちの方向だ”と行って(笑)、飛行機に乗って、コロシアムで11万人規模のソールドアウト公演を2回やった。ツェッペリン、デリンジャー、そして俺らの3バンドだけだったんだ。みんなにも挨拶できた。本当に嬉しかったよ」

11. VH1 Rock Honors, Mandalay Bay Events Center, Las Vegas, Nevada (May 25, 2006)

「あれは最高だった。俺らとクイーン、デフ・レパード、キッスが出演した。とにかく素晴らしい夜だった。ジューダス・プリーストがロックの殿堂にノミネートされたから、これを取り上げているんだけど、グラミー賞(2010年のベスト・メタル・パフォーマンス賞)を除けば、初開催のVH1 Rock Honorsは、俺が経験した中で最も“殿堂入り”というタイプのものに近いものだったと思う。この賞の受賞はとてもクールだった」