ロジャー・ダルトリーに招かれて、ティーンエイジ・キャンサー・トラストのチャリティーのために、スコーピオンズやイアン・ギランが出演するロック・デーのヘッドライナーとしてプリーストがそこで演奏することになったとき、信じられないような思いだった。偉大なジミ・ヘンドリックスの足跡をたどり、ジャック・ブルースの足跡をたどり、そしてクリームのライヴを見たとき、エリック・クラプトンがステージ左にいたそのステージの右に俺が立っているのを想像してみてくれ。とても光栄なことだった。実は、俺の自伝『Heavy Duty: Days and Nights in Judas Priest』の表紙の写真は、このライヴを撮ったものなんだ。とてもクールだよ」
3. Madison Square Garden, New York City (June 18, 1984)
「マディソン・スクエア・ガーデンは、アメリカで非常に格式の高い会場の1つだから入れておかなければならないね。そこで行われたテニスのトーナメントやボクシングの試合を何度もテレビで見てきたので、1984年のDefenders of the Faithツアーで、ついにそこで演奏できるというのは大きな出来事だったんだ。でも開催されたけど、あの時は客席が壊されて何百万ドルもの損害を出した(笑)。いろいろな数字が飛び交ったけど“65万ドル相当の損害を出したのだから、お前たちは悪者だ”と言われたのを覚えているよ。どうやってこんなに早く集計したのかわからないけどね! そのあと、俺たちは出入り禁止になった。でも結局、保険会社が新しい席をたくさん用意してくれたので、また入れるようになったんだ。その後、グレン(ティプトン)と一緒にボルボ・マスターズというテニスの大会に行ったとき、俺たちは忍び込んで支配人に見つかってしまった。彼は新しいシートについて俺たちに感謝していたよ」
4. Live Aid, JFK Stadium, Philadelphia, Pennsylvania (July 13, 1985)
6. St. John’s Hall, Essington, England (March 6, 1971)
「次は1971年3月、ジューダス・プリーストの最初のライヴに話を戻そう。ミッドランズ地方の小さな小さな町のワーキングメンズクラブでのことだった。ワーキングメンズクラブは、町の労働者たちがたむろし、ドミノやカードで遊んだり、安いビールを飲んだりする場所だった。社交的な場所だったので、そのクラブでは、娘や息子に楽しんでもらうために、バンドがステージで演奏することもよく行われていた。その時のライヴは、俺、ヴォーカルのアル・アトキンス、ベースのイアン・ヒル、そしてドラマーのジョン・エリスという、プリーストのオリジナル・ラインアップだった。俺たちはそれを楽しみ、実際にアンコールを何度もした。自分たち独自の曲と、Quatermassというキーボードとギターのいない3人組バンドのカヴァーもいくつかやった。彼らの曲では“Black Sheep of the Family”や“Post War Saturday Echo”などをやった。確かギャラは6ポンドだった」
7. Highway to Hell tour with AC/DC (1979)
「AC/DCとやったHighway to Hellツアーはとても楽しかったので外せないね。もちろん、残念なことに、ボン(スコット)がやった最後のツアーだったことは誰もが知っている。みんなとはとてもいい時間を過ごせた。彼らは俺たちにとても親切で、とても気品があった。AC/DCは、俺らに観客との接し方やサポートバンドへの接し方を教えてくれた偉大なバンドのひとつだ。ファンにとっても素晴らしいライヴだった。79年当時、俺らはちょうどブレイクしようとしていたときだったから、あのツアーは、俺たちが行きたいところに行くのに本当に役立ったよ」
11. VH1 Rock Honors, Mandalay Bay Events Center, Las Vegas, Nevada (May 25, 2006)
「あれは最高だった。俺らとクイーン、デフ・レパード、キッスが出演した。とにかく素晴らしい夜だった。ジューダス・プリーストがロックの殿堂にノミネートされたから、これを取り上げているんだけど、グラミー賞(2010年のベスト・メタル・パフォーマンス賞)を除けば、初開催のVH1 Rock Honorsは、俺が経験した中で最も“殿堂入り”というタイプのものに近いものだったと思う。この賞の受賞はとてもクールだった」