アリス・クーパー(Alice Cooper)は、ピンク・フロイドの
シド・バレット(Syd Barrett)、モーターヘッドの
レミー・キルミスター(Lemmy Kilmister)、
フランク・ザッパ(Frank Zappa)、ザ・ドアーズの
ジム・モリソン(Jim Morrison)について語っています。英Classic Rock誌企画
●シド・バレット
「ロサンゼルスに家を持っていた。当時はまだ大したことなくて、アリス・クーパーというローカルバンドに過ぎなかった。そこにイギリスからピンク・フロイドというグループがやってきた。彼らのことを聴いたことがある人は少なかったけど、俺たちは彼らのことを全部知っていた。(フロイドの1967年のデビュー作)『The Piper At The Gates Of Dawn』を持っていたんだ。彼らはレコードを出していて、俺たちは出していなかったので、俺たちにとって大きな存在だった。
フロイドが街に出て行き、LAでは誰もがそうするように、お金がなくなって、結局うちに泊まることになった。シド・バレットは、とにかくすごい人だった。朝起きてキッチンに行くと、シドがコーンフレークの箱を目の前にして座っていた。俺がテレビを見るように、彼はそのコーンフレークの箱を見ていたんだ。俺たちは皆、“どうやったらあんなにハイになれるんだ?”とひそひそ話をしたものだ。シドは双極性障害でもあった。彼が半分ハイで半分正気でないことは、後になってから初めて知った。とても悪い組み合わせだよね。
Gazarri'sでオーディションを受けたとき、ピンク・フロイドが一緒に来てくれると言った。彼らはブラウニーを作った。もちろん、それは完全に混入されていた。ライヴの途中で、突然...うー...えーと...世界があっちに行っちゃったんだ。ステージから3回くらい落ちたよ。でも、仕事はもらえた。あまりにぶっ飛んでたから、Gazarri'sの連中が言ったんだ。“よし、君を雇おう”とね」
●レミー・キルミスター
「70年代に初めて会ったとき、すぐに彼のことが好きになった。彼はタフなオートバイ・タイプだった。もし彼がアメリカで生まれていたら、デトロイトの出身だっただろう。当時のデトロイトはアメリカの殺人の中心地で、いい町並みなんてなかった。本当に荒れていたんだ。でも、そこで俺は自分の名前を売るようになった。レミーなら、そこに溶け込めたはずだろうね。
レミーは俺たちと一緒にいると居心地が良かった。アリス・クーパーには都市伝説のようなものがあったけれど、レミーはそれを見抜いていた。俺やグループの連中は、ハトよりもタカ派だった。バンドというよりギャングだった。レミーはそれを理解していたようだ。それに俺たちはハードロッカーだった。俺たちの系譜はヤードバーズとザ・フーだ。それが俺たちの原点なんだ。ウエスト・サイド・ストーリーや時計じかけのオレンジを少し加えたら、アリス・クーパーになるんだよ」
●フランク・ザッパ
「フランクの陣営に入るには、最高のメンバーでなければならなかった。ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションのメンバーになりたいなら、LAのトッププレイヤーの一人でなければならなかった。フランクがステージでやることはすべて楽譜に書き出されていた。屁みたいな音、泡みたいな音、クリック音、いろいろあったけど、全部書き出したものだった。
誤解しないでほしいんだけど、当時の俺らはかなりいいバンドだったんだ。音楽ではなく、インパクトがあったんだ。圧倒的に悪い雰囲気を出していた。ライヴの最後に、フランクが俺たちに向かって“あんなに早く部屋を片付けられる人は尊敬に値するよ。7時に僕の家に来て、また何曲か演奏してくれよ”と言っていた。
俺はてっきり朝の7時だと思っていた。それで俺たちはフランクの丸太小屋の地下室にセットを組み、このとんでもない時間から演奏を始めた。するとフランクがガウンを着てコーヒーを飲みながらこう言った。“一体何をしているんだ!?今夜の7時のつもりだったのに”。しかし、俺たちは彼の興味をそそった。彼は何曲か聴いて“よし、録音してやる。さあ、帰ってくれ ”と言ってくれた。それで、フランクが最初のプロデューサーになったんだよ」
●ジム・モリソン
「ジムの神秘的な魅力に取り付かれずにはいられなかった。彼はいつも神妙的な人間だった。あるとき、ジムと一緒に座ったとき、彼は“最近どう?”と言ったので、俺は“さあ、どうだろう?今朝、目が覚めてビールを飲んだよ”と答えた。それが結局、ドアーズの“Roadhouse Blues”の歌詞のひとつになったんだ。
俺たちはトパンガ・キャニオンに向かう車に乗っていた。俺が運転して、ジムと彼のガールフレンドのパム(クールソン)が後部座席にいた。曲がりくねった道ばかりだった。ジムに何か言おうとして振り返ると、彼は消えていた。彼は車から飛び降りて、丘の下に転げ落ちていったんだ。俺は立ち止まって叫んだ“ジム?”。すると、どこか遠くから“大丈夫...大丈夫”という声が返ってきた。それはまるでアニメの『ロードランナー』のようだった。
ジムが27歳まで生きられたのは、奇跡としか言いようがない。彼の心臓がいかに弱っていたかがわかる。部屋に入ると、ボウルいっぱいの薬 (アッパー、ダウン、アシッドほか)があって、M&M'sを食べるように、それをガツガツと食べていた。で、それをウイスキーで流し込むんだ。俺は彼がしらふの状態でいるのを見たことがない。でも、俺もそうだったから、一緒にいても大丈夫だった」