Loretta Lynn, photo by Terry Wyatt/Getty Images for Americana Music
カントリーミュージック界の女性スターの草分け的存在、
ロレッタ・リン(Loretta Lynn)が死去。家族がロレッタのSNSアカウントで発表。90歳でした。
以下、ロレッタ・リンの家族からの声明です。
「私たちの大切なお母さん、ロレッタ・リンは10月4日の朝、ハリケーン・ミルズの愛する牧場の自宅で眠るように安らかに息を引き取りました」
ロレッタ・リンは、1932年4月14日にケンタッキー州ブッチャー・ハローで生まれる。出生名はロレッタ・ウェブ。炭鉱労働者の父のもとに生まれた彼女は14歳でオリヴァー・リンと結婚。彼女が第一子を妊娠していたとき、夫と共にワシントン州に移る。
リンはオリヴァーとの間に6人の子供をもうけたが、そのうち最初の4人は18歳までに生まれた。歌手のキャリアを積む前の数年間は専業主婦として働き、洗濯板を使って洗濯をし、自分で野菜を育てて缶詰にした。父と共に耐えた重労働と、若くして繰り返された出産の経験は、リンの音楽に影響を与えた。
オリヴァーはリンにギターを贈り、彼女が家の中で歌っているのを聞いて、曲作りを学ぶように勧める。夫に励まされ、リンはワシントンのクラブで歌い始める。
1960年にバンクーバーのレーベル、ゼロ・レコードから最初のシングル「I'm a Honky Tonk Girl」をリリース。その後すぐに、彼女はカントリーミュージックの中心地ナッシュビルに移り、、1967年に初めて「Don't Come Home A' Drinkin' (With Lovin' on Your Mind) 」でナンバー1ヒットを記録すると、「You Ain't Woman Enough」「Fist City」「Coal Miner's Daughter」など数多くのナンバー1ヒット生みだした。
リンは女性ならではの視点で曲を書き、労働者階級の女性問題および浮気性の夫と愛人をテーマに歌い、また産児制限や度重なる出産、男と女のダブルスタンダード、ベトナム戦争による寡婦など、保守的なカントリー・ミュージックではタブーとされていた話題も臆することなく歌った。
カントリー・ラジオ局は、しばしばリンの曲を放送することを拒否したが、リンは労働者階級のフェミニスト賛歌を発表し続け、フェミニストの象徴として確固たる地位を築いた。
1976年、リンは自伝『Coal Miner's Daughter』を発表し、ベストセラーとなった。1980年には、シシー・スペイセクとトミー・リー・ジョーンズ主演映画『歌え!ロレッタ愛のために』ともなり、アカデミー賞作品賞を受賞した。
リンは亡くなるまで音楽を発表し続けた。最後のアルバムは2021年の『Still Woman Enough』だった。
グラミー賞を3回、アメリカン・ミュージック・アワードを7回受賞し、カントリーミュージックの殿堂やソングライターの殿堂入りも果たし、ケネディ・センター名誉賞、大統領自由勲章など、数々の栄誉も受けている。