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泥酔した歌手が意味不明なことを歌う曲をレーベルは最悪曲だと思いながらリリースすると大ヒット ミニストリーが90年代初頭の逸話を語る

2022/09/24 20:56掲載
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Ministry / Psalm 69
Ministry / Psalm 69
酔っぱらったヴォーカリストがスタジオにふらふらとやってきて、意味不明なことを歌い始める。それを基に完成させた楽曲をレーベルは最悪のクソ曲だと思いながら、アルバム制作費の損失を取り戻すためにシングルとしてリリースすると大ヒット。プリンスやマドンナの売上を上回ったという。そして突然、レーベルは親切になる。以上、1990年代初頭のミニストリー(Ministry)に起こった出来事でした。中心人物であるアル・ジュールゲンセン(Al Jourgensen)が英Classic Rockのインタビューの中で当時を振り返っています。

1991年の夏、ジュールゲンセンはミニストリーの他のメンバーとの共作で「Jesus Built My Hotrod」を作っていましたが、順調ではありませんでした。

「この曲をレコーディングして、何度か歌ってみたんだけど、自分のヴォーカルが好きになれなかったんだ」「難解で知的な歌詞をつけようとしていた。だから、この曲を正確に理解することはできなかったんだけど、不思議とパワフルな曲だということは分かっていた。未来から来たロカビリーのような感じがしたんだ」

ジュールゲンセンは、その解決策をロラパルーザ・フェスで偶然見つけます。オープニングアクトを務めたバットホール・サーファーズのリード・ヴォーカル、ギビー・ハインズと再会します。この2人はすでに、数カ月前のアメリカ・ツアーで顔を合わせて、意気投合していました。

「ギビーと話をして、後でスタジオで一緒に何かやらないかと誘ったんだ」

「ところが到着したとき、彼は泥酔していた。俺よりもっと酔っぱらっていた。それで“さて、どうしよう?”という話になったんだ」

ジュールゲンセンは、ハインズに「Jesus Built My Hotrod」のデモを聴かせ、これを完成させるのに苦労していると説明します

「ギビーは(泥酔した声で)“心配するな、これは俺がやる。きっとうまくいく”と言っていた。それで、スタジオのヴォーカル・ブースに彼のための椅子を設置したんだ。マイクとジャック・ダニエル5杯を手に、ハインズは仕事に取り掛かった。ちょっとだけね」

「10分もしないうちに、彼は吐いて椅子から落ちてしまった(笑)。結局、俺たちは彼を支えたんだけど、彼はまったく意味不明なことを歌い始めた。“Bing bing bing bang a bong bong bing bing binga binga…”とね。でも、それはとてもクールなサウンドで、この曲のイメージにぴったりだったんだ。それから彼は気を失った。簡単に言うと、ギビーは現れて、吐いて、ちんぷんかんぷんな言葉を吐いて、去っていったんだ。でも、彼はまさに必要な存在だった。やっと曲ができたんだ」

ジュールゲンセンはその後2週間かけて、1/4インチ・テープに録音したトラックを手作業で切り貼りし、丹念に編集しました。彼は、ドラッグレースのサンプル、後方ノイズ、ギタリストのマイク・スカッチャの金切り声のブルース・ソロを追加などして、この曲を完成させます。

そのころ、ワーナー・ブラザーズ傘下のサイアー・レコードは落ち着きを失っていました。ミニストリーの5thアルバムの制作がまったく進んでいませんでした。ミニストリーは内部抗争と慢性的な薬物乱用により、ほとんど何もできていませんでした。彼らはのサイアーの前金のほとんどをドラッグにつぎ込んでいました。

「ワーナー・ブラザーズはこのアルバムを作るために大金をくれたけど、俺たちはまだ曲がなかった。彼らは俺たちが作ったものを聴くことに固執していたけど、彼らは音楽について何も知らないし、無知だったから、デモを送るのを拒否していた。でも、彼らはずっとプレッシャーをかけ続けていた。それで彼らに“Jesus Built My Hotrod”を送ることにした。彼らは落胆し、“こんなのミニストリーじゃない、今まで聴いた中で最悪のクソ曲だ”と思ったようだが、俺は、これが俺の持っているすべてだと言ったんだ」

ジュールゲンセンは対決にひるむことなく、レーベルに最後通告を突きつけます。ミニストリーの契約を解除するか、アルバムを完成させるためにもっと金を送るか、と。サイヤーは2番目の選択肢を選びました。サイアーは損失を取り戻そうと考え、保留していたにもかかわらず、同年11月に「Jesus Built My Hotrod」をシングルとしてリリースしました。

すると大ヒットを記録。この曲は、すぐに大学のラジオやオルタナティブ・ロック・チャートの定番となりました。1992年7月、ミニストリーはようやくアルバム『Psalm 69: The Way to Succeed and the Way to Suck Eggs)(邦題:KE・AH‐詩篇69‐)』をリリースしましたが、その頃にはこのシングルは13万枚を売り上げていました。そして、それは売れ続けました。

「ワーナーは、シングルをリリースすることで、最終的に俺を追い出すことができると考えていた。彼らはまったく売れずに、人々から嫌われると思ったんだろうね。でも、起こったことは全く逆だった。ワーナー・ブラザーズからリリースされたプリンスやマドンナの売上を上回ったんだ。そして突然、彼らは俺に親切にしてくれるようになったんだ」

『Psalm 69』は、ビルボードのトップ30にランクインし、最終的には米国でプラチナ・アルバムとなり、ミニストリーにとってこれまでで最大のアルバムとなりました。