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バングルスのスザンナ・ホフス 「Manic Monday」を書いたプリンスとも思い出とサイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」のカヴァーを語る

2022/09/23 16:12掲載
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Susanna Hoffs
Susanna Hoffs
バングルス(The Bangles)スザンナ・ホフス(Susanna Hoffs)は、Vultureのインタビューの中で「Manic Monday」を書いたプリンス(Prince)とも思い出を語る。またバングルスのベスト・ソングにサイモン&ガーファンクル(Simon and Garfunkel)「A Hazy Shade of Winter(邦題:冬の散歩道)」を挙げています。この曲をカヴァーすることになった逸話も語っています。

Q:プリンスが書いた「Manic Monday」の思い出は?

「暗いスタジオで初めて彼と二人きりになったときのことが、とても印象に残っています。あの時、本当に初めて“Manic Monday”を歌った。プリンスはその前から“Hero Takes a Fall”で私たちのことを知ってくれていた。ガレージで2人の女の子が2本のギターで作った曲をプリンスが自分のツアーで演奏して、自分のものにして、それを高めていました。私は今、そこにいて、プリンスの演奏を見ているようなものでした。

もうひとつ、本当に愛すべき思い出は、ある日、彼が私たちを家に招待してくれたときのこと。みんなでいたら、突然、“サンセットサウンドに行って、5人で音楽をやろう”と言われました。スタジオの彼の特別な部屋に入ると、彼は私たちのためにいろんな機材をセッティングしてくれていた。彼がやりたかったのは、バングルスの曲を演奏することだけだった。しかも彼は全部知っていた。みんな顔を見合わせた、“えっ、全部知っているの?どうなってるの?”って。私たちは皆、夜中の3時まで起きていた。プリンスの演奏中は靴を脱いで、靴下で踊っていた。彼はただ音楽を演奏するのが大好きだった。何の稼ぎにもならない、ただ演奏が好きだから演奏する。それが、あの夜だった。一生忘れないでしょうね。写真はありません、思い出だけです。

最近、私の子供時代の絶対的なヒーローの一人、ジョニ・ミッチェルに会いました。私はジョニに会い、彼女と一緒に音楽を奏でる時間を過ごす機会がありました。私は自撮りをお願いしなかったのですが、他の誰かがそこにいて、自撮りをお願いし、彼女はそれに応じていました。家に帰ったら、一晩中(眠れなくて)寝返りをうっていました(笑)。朝起きてから“どうして勇気を出して頼まなかったんだろう”と思いました。夫(映画監督ジェイ・ローチ)にその気持ちを伝えると“でも、君の記憶の中には写真があるじゃないか。写真以上のものを持っている、あの夜の思い出も持っている”と言われました。それで、プリンスとの一夜を思い出すことができたんです。あの体験、それは記憶の中にある。写真は必要ないのよ」

Q:バングルスのベスト・ソングは?

「それは難しいわね。

“Manic Monday”のような曲もあったしね。これはプリンスが書いたもので、彼が私たちにくれたんです。プリンスは1984年にこの曲を書きました。もともと、彼の愛弟子であるアポロニア6のデビュー・アルバム用に作られた曲で、とても特別なものでした。

もちろん、“Walk Like an Egyptian”もね。この曲は、誰もシングルになるとは思っていなかったし、ましてやこれほどまでに人々の心をつかむとは思ってもいなかった曲のひとつ。ちょっと風変わりな曲なんだけど、どうしてなのか、みんなはラジオ局に電話してリクエストしてくれた。

それから、“Eternal Flame”。これは私が共作した曲で、とても思い入れがあるんだけど、当初はアルバム『Everything』に収録される予定はなかった。選ばれなかったときは心が折れそうになった。バングルズでは、みんなが書いて歌うから、誰もが一定の曲数を得ることができるようにしていた。レコード制作の4分の3くらい進んだところで、素晴らしいプロデューサーがこう言ったんです。“あの曲のアイディアがあるんだけど......”。それで、とても素晴らしいアレンジを思いつき、レコーディングすることになった。人とつながっていることを実感できて、とてもうれしかったです。

私の答えは“Hazy Shade of Winter”だと思う。これはバングルスのごく初期の頃の曲。私は大学を出たばかりで、ミュージシャンでサンタモニカに小さな陶器工場を持っていた叔父のもとで働いていた。

私はカリフォルニア大学バークレー校に通っていた。当時はパンクロックやニューウェーブの革命が起きていて、大学にいるのはとてもいい時代だった。セックス・ピストルズをウィンターランドで見たり、パティ・スミス・グループをウィンターランドで見たりした。それは私にとってとても豊かで創造的な時間だった。

工場の頃に話を戻すと、私はK-EARTH 101というオールディーズ・ステーションを聴いていた。暗い部屋に一人でいて、ラジオしか持っていなかったのです。

ある日、“Hazy Shade of Winter”が流れてきた。サイモン&ガーファンクルは好きだったけど、なぜか彼らのこのヤバいフォークロック・ソングを聴き逃していた。その夜、バンドのリハーサルに行って、“この曲をカバーしなきゃ”と言った。そして、この曲は何年も何年もバングルスの定番曲となった。

私たちは、まとまりのないバンドで、みんなが好きなわけではなかった。80年代に入って少し経った頃、映画『レッスル・ザン・ゼロ』の仕事をした。この映画には音楽がたくさん出てくるということで、プロデューサーが曲を探していたので、私たちは打ち合わせで“バングルズがクラブ時代に何年もカヴァーしてきた曲があるんだけど。私たちはいつもこの曲を演奏するのが大好きなんです。あなたの映画に合うと思うんだけど......”と話した。気がついたら、リック・ルービンがプロデュースしていた。この曲には何かエネルギーがある。私たちはよりロックンロールなヴァージョンで演奏したけど、みんなの声が重なり合っているところが好き。この曲は、バングルスの曲の中でも、奇妙な歴史を持つ曲として有名だけど、ライヴで演奏するのが楽しくてたまらない曲です。ライヴではよくオープニングにこの曲を演奏しています」