a-haのフロントマンである
モートン・ハルケット(Morten Harket)は
ユーライア・ヒープ(Uriah Heep)好き。ユーライア・ヒープとの出会いと思い出を英Prog誌のインタビューで語っています。「ヒープは僕の人生で最も重要なものとなった」「あの頃、ヒープは僕にとって全てだった」。
彼にとって、自身の心を揺さぶった初めての音楽体験は、ノルウェーの建国記念日に地元のブラスバンドが演奏するのを見たときでした。その時、彼はまだ3歳。すぐに音楽に親しみ、4歳でピアノを始め、自分で小さな曲を作っていたという。その後、地元のバンドでトロンボーンを演奏するようになりますが、彼の両親が音楽の家庭教師をつけたとき、その熱意はすぐに冷めてしまったと話しています。彼は義務としてではなく、自分自身のために音楽を発見したかったのです。音楽への情熱を失った彼でしたが、13歳の時にユーライア・ヒープに出会います。
「13歳のとき、いとこがロンドンの修学旅行から帰ってきて、ユーライア・ヒープの『Wonderworld』を持っていた。僕はそれに完全に打ちのめされた。それまでジョニー・キャッシュやサイモン&ガーファンクルが好きだったので、ヘヴィロックはまったく聴いていなかったんだ。まだ“目覚める”前だった。
『Wonderworld』は僕の心に強烈に響いて、まるで故郷に帰ってきたような感じだった。ヒープは僕の人生で最も重要なものとなり、僕は彼らのレコードを手に入れるための小遣いを稼ぐためにあらゆることをした。
75年と76年にオスロで彼らを見たよ。彼らの状況は変化しており、ゲイリー・セインが亡くなったとき、ヒープの中で何かが死んだ。彼はベーシストであることを超えたレベルで重要な存在だった。それからデヴィッド・バイロンに精神的に何が起こったのかわからない。典型的な自信のなさかもしれない。それが他のすべてに影響を及ぼしてしまった。このことをケン・ヘンズレーに話したら、きっといくつかうなずいてくれるだろうね。
ヒープはまた、他にも注目すべきバンドがあるという衝撃的な発見をさせてくれた。例えばディープ・パープルとか。ラジオで“Child In Time”の断片を聴いたとき、すぐにヒープだと思い、何日もかけて彼らのカタログを探したものです。他のバンドにもそのようなサウンドがあることを知らなかった。
あの頃、ヒープは僕にとって全てだった。『Magician's Birthday』『Demons And Wizards』、そしてもちろん『Wonderworld』では彼らのソングライティングはとても優れていたし、僕は今でも同じように思っている。ヒープを聴いているうちに、彼らのようなことをやってみたいと思うようになり、その道を突き進むと信じられるようになったんだ。15歳だった僕は、天職だと思い、とても興奮していた。一生かけてやることが決まったんだとね。どうやるのか、誰とやるのかはわからなかったけれど、それが実現すると信じて疑わなかったんだ」