キッス(KISS)の
ポール・スタンレー(Paul Stanley)は、後に
ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N' Roses)を結成する17歳の
スラッシュ(Slash)にエース・フレーリーの後任としてキッスのギタリストにならないかと打診したことがあるという。スラッシュの幼なじみで、結成期のガンズの写真を数多く撮り、後に写真集『THE FIRST 50 GIGS: Guns N‘ Roses and the Making of Appetite for Destruction』として発売したマーク・キャンターが証言しています。
ロサンゼルスでキャンターズ・デリを経営しているキャンターは、VW Music Rocksとの最近の対談の中で、自身のガンズ関連のプロジェクトのために行ったインタビューの中で出てきたエピソードについていくつか取り上げており、その中には次のような話もありました。
「この本には書かれていないことがたくさんあるんだ。スラッシュがかろうじて覚えていたようなことなんだけど、2週間前に彼に会ったとき、最初は覚えていないと言っていたけど、“何となく覚えているよ”と言っていたよ。
ポール・スタンレーはスラッシュが17歳の時に電話をかけてきた。エース・フレーリーが脱退した時で、キッスに加入するように話をするためだった。でも、ポールはこのことを覚えていないんだよ。ポールが覚えているのは、ある子供に電話をかけたということだけで、その子供がサウル・ハドソン(スラッシュ)だとは覚えていないんだ。どうやってその番号を知ったのか? スラッシュはハリウッドの楽器店で働いていて、オーナーはスラッシュが客のいない間にプラグを接続して、即興演奏をしているのを見ていたんだ。それで、オーナーはスラッシュの非凡さを見抜き、キッスがギタリストを探していることを知ると、スラッシュを推薦したんだよ。
それで、ポール・スタンレーは彼に電話をしたんだけど、ポールは彼がまだ17歳であることを知っていて、それが法的に問題になる可能性があったんだ。未成年のミュージシャンがいないとは言わない、いるにはいる。けど、キッスのツアーに参加するとなると、責任を問われることがある。17歳の子供に何が起こるかわからないからね。だから、スラッシュとは電話で話をしたけれど、彼らは彼を見ることはなかった。彼を連れていって、何曲か覚えさせて、彼の才能を見ようとはしなかった。もしそうしていたら、スラッシュはキッスに入っていたかもしれないし、ガンズ・アンド・ローゼズは実現しなかったかもしれない。そういう冗談みたいな話なんだ。それで、良かったんだよ。
ポール・スタンレーは“ツアーに出られるか?両親は賛成してくれるのか?レコーディングはできるのか?”と質問をしていたけど、次の段階には進まず、ヴィニー・ヴィンセントが採用され、それで終わったんだ」