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エイドリアン・ブリュー 坂本龍一『左うでの夢』やギターで動物の鳴き声を再現した90年CMなど日本について語る

2022/07/13 14:38掲載
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Adrian Belew
Adrian Belew
エイドリアン・ブリュー(Adrian Belew)は、サイトInnerviewsのインタビューの中で、レコーディングに参加した坂本龍一『左うでの夢』を中心に、思い出に残っている日本でのエピソードについて語っています。ギターで動物の鳴き声を再現した1990年の日本のCMについても話しています。

「僕は1979年にデヴィッド・ボウイと一緒に日本に行ったんだ。初めての日本だった。大変なことになったんだよ。そのコンサートはテレビ中継され、日本の人口の4分の1、2,500万人くらいが観たと言われているんだ。僕は日本で一躍スターになったんだよ。翌年、僕はトーキング・ヘッズと再び訪れたんだけど、彼らは日本で人気の絶頂期にあって、これもまた日本では大きなイベントとなったんだ。またしても、僕はヒーローになったんだよ。その後、坂本龍一から彼のアルバムで演奏してほしいという電話があったんだ。イエロー・マジック・オーケストラや彼のバンドのことは少し聴いたことがあったけど、それほど詳しくは知らなかった。飛行機の中で『Life』誌を見ていたら、彼らのことが大きく載っていて、日本ではビートルズよりも大きな存在だと書いてあったんだ。

彼らは街中を歩くこともできず、どこまでも女の子に追いかけられていた。これこそが、僕がこれから一緒に演奏するバンドだったんだ。到着してソニーのスタジオAに入ったんだけど、そこは確か最初のデジタルスタジオだったと思う。そこは信じられないほど印象的な場所で、コントロールルームの周りはすべて大きなガラス窓になっていた。コントロールルームは巨大で、プレスも含めて常に人がいた。僕は一人でギターを持って外に出て、ヘッドフォンをつけて、曲を弾き始めた。彼のソロ・アルバムだけど、イエロー・マジック・オーケストラの他のメンバーも参加していた。最終的には、他のプレイヤーも一人ずつアルバムに参加するようになったと思う。僕が何か演奏して終わると、スタジオ中の人が立ち上がってスタンディングオベーションをしてくれるんだ。最高の気分だった。とても素晴らしかったよ。

その後、1981年にキング・クリムゾンはアルバム『Discipline』を携えて初めて日本に行ったんだ。デヴィッド・ボウイからトーキング・ヘッズ、日本で最も人気のあるアーティストである坂本龍一、そしてキング・クリムゾンの『Discipline』まで、3年間という短期間に、僕が日本で経験したことを想像してみてよ。僕は日本で自分の名前とファンを確立したんだ。僕は何度も足を運ぶことができた。実際、日本には21回行っているんだ。

1990年にデヴィッド・ボウイと一緒に行ったときは、東京ドーム(9万人収容、おそらく当時としては世界最大級)でライヴをしたんだ。世界中を旅していると、日本のダイキンという会社から“ビジュアル・スポークスマンになってほしい”という電話があった。NASAの部品やエアコンを作っている会社で、彼らは僕に動物のようなギターの音を出すのと、その動物が登場するビデオに出演してほしいという内容だった。

休みの日にシカゴでCMを作ったよ。トラックとスタッフが運ばれてきて、ゾウやニワトリもいた。そこで僕は彼らのためにこのビデオを撮影した。これは日本で大成功を収めた。日本には素晴らしいコマーシャルがある。とても素晴らしい。アメリカで作られるものよりずっといい。だから、ジョージ・クルーニーやロバート・デ・ニーロのような、アメリカでは絶対にコマーシャルをやらないようなスターが、日本でコマーシャルを作るようになったんだろうね。

僕の動物たちのコマーシャルはとても人気があって、何度も使われた。通常、6週間流して終わり。でも、何回も6週間にわたって流れたんだ。あまりに好評だったので、オーケストラ曲の全パートを僕がギターで弾くという2作目も作ったんだ。彼らは今度は僕をコンサートホールにいるような演出をした。僕はオーケストラのすべての人なんだ。ティンパニは、ギターを平らに寝かせて、僕がスティックで弾いたんだ」