モトリー・クルー(Mötley Crüe)は1992年に脱退したヴィンス・ニールの後任として
ジョン・コラビ(John Corabi)を迎えて1994年にアルバム『Motley Crue』をリリース。しかし、コラビ在籍時代はこの1枚のみで終了しました。コラビは、自身の短い在籍期間を振り返り、解雇された本当の理由をThe DR Showのインタビューの中で明かしています。
「ニッキー(シックス)の家でミーティングがあって、マネージャーのアレン・コバックがやってきて、彼はとても率直言ったんだ。彼は“いいか、よく聞け、誰がこのバンドのフロントマンを務めるかなんてどうでもいいんだ......”と言い出した。
俺が加入する1年前、彼らはエレクトラと4000万ドルとか5000万ドルとかの保証金のついた大規模なレコード契約を結んだところだったんだ。それから半年後、モトリーがエレクトラに電話して“ああ、そうだ、ところでシンガーが脱退したんだ”と言うと、彼らは“えー、それは私たちが金を払ったものとは違う!”と言ったんだ」
アルバム『Motley Crue』は全米チャート7位にランクインするものの、レーベルはニール抜きのモトリー・クルーを支持したわけではなく、コラビは彼がバンド内に留まることに大きなサポートがなかったような気がするとも話しています。「彼らはいつも俺に対して冷たかった」
コラビはバンドの活動計画を聞かされたときのことを思い出してこう語っています。
「アレンは俺のところに来て“いいかい、よく聞いてくれ。君には悪いが、これはレコード会社が払ったものとは違うんだ。ポール・マッカートニーがこのバンドのフロントマンを務めていたとしても、そんなことはどうでもいい。これは、彼らが支払ったものとは違うんだ。彼らはヴィンス・ニールを求めている。さもなければ何もしないんだ”。俺はそれを理解した。それでおしまいさ」