「まあ、最終的には対立があったんだ。最初は僕とスティーヴで始まったんだ。スティーヴが僕にアプローチしてきて、アルバム『Not Fakin' It』、特に“All Night With The Lights On”を聴いて、自分がギターを担当すべきだと確信したんだそうだよ。『Not Fakin' It』の僕のエンジニアは、ビリー・アイドルの『Rebel Yell』のエンジニアリングを担当していたマイケル・フロンデリだったんだよ。その曲(“All Night With The Lights On”)にはソロがあって、彼はそれを聴いて、“これは僕のソロにすべきだった”と言ったんだ。見た目もいいし、いい人そうだったしね。
彼と付き合い始めて、何曲も書いたし、1年くらいデモも作っていたんだ。リトル・スティーヴン(Eストリート・バンドのギタリスト)にプロデュースしてもらいたかったし、そうすれば良かったんだけど、レコード会社がそれを許さなかったんだ。“えっ、リトル・スティーヴンがプロデュースするのが嫌なの、これからどうすればいいだ?彼は僕が一緒に仕事をしたかった人なのに”と思ったよ。スティーヴ・スティーヴンもそれについてはサポートしてくれなかった。それから、ドイツのヘヴィ・メタルのプロデューサー、マイケル・ワグナーに依頼した。彼は当時、オジー・オズボーンのアルバム(1991年の『No More tears』)を手がけていて、注目されていたんだ。
「その後、彼は僕たちがレコードをやり直し、修正することに同意した。それからニューヨークに帰って、しばらく音沙汰がなかったんだ。その後、1曲だけリミックスもしたんだ。最悪なのは、ワグナーが全部ミックスしたものを作っていたから、レコード会社は完成した、いわゆるアルバムとして出すことだった。このアルバムをそのまま出したくないと思っていた。それは間違いだ。それから、ニューヨークのスタジオに、ボブ・ロサという優秀なミキサーと一緒に行ったんだ。彼は1曲目の“Rock 'N' Roll Degeneration”をミックスしてくれて、より良い音になった。でも、その後スティーヴは姿を消して何も言わなくなった。そして次の日、MTVを見ていたら、何かの番組があって、ヴィンス・ニールがそこにいたんだ。