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イエスのドラマー、アラン・ホワイト死去

2022/05/27 02:03掲載(Last Update:2022/05/27 02:31)
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Alan White
Alan White
イエス(Yes)のドラマー、アラン・ホワイト(Alan White)が死去。アラン・ホワイトの公式サイトおよびFacebookページなどで家族が明らかにしています。72歳でした。

以下、声明より

「私たちの最愛の夫であり、父親であり、そして祖父であるアラン・ホワイトは、短い闘病生活の末、2022年5月26日にシアトル地域の自宅で72歳の生涯を閉じました。

アランはその人生と60年にわたるキャリアを通して、多くの人にとって多くの存在でした。世界中のファンにとってはロックスター、一部の人たちにとってはバンド仲間、そして会う人すべてにとって紳士であり友人でありました。

アランは1949年6月14日にイングランドのダーラム州ペルトンで生まれました。彼は6歳でピアノのレッスンを始め、12歳でドラムを始め、13歳からは公の場で演奏するようになりました。

1960年代を通じて、アランはDownbeats、The Gamblers、Billy Fury、Alan Price Big Band、Bell and Arc、Terry Reid、Happy Magazine (後のGriffin) 、Balls with Trevor Burton (The Move) 、Denny Leine (Wings) など、さまざまなバンドで腕を磨きました。

1968年、アランは、クリームの元ドラマー、ジンジャー・ベイカーや、元トラフィックのスティーヴ・ウィンウッドなどイギリスの音楽シーンで活躍するミュージシャンたちによって結成された新しいグループ、Airforceに参加しました。

1969年、アランはいたずら電話だと思った電話を受けました。それはジョン・レノンがアランにPlastic Ono Bandへの参加を呼びかけたものでした。翌日には、アランはレノン、オノ・ヨーコ、エリック・クラプトン、クラウス・ヴォールマンとともにトロントに向かう旅客機の後部座席で曲を覚えていました。その後発売されたアルバム『Live Peace in Toronto』は何百万枚も売れ、チャートで10位を記録しました。

アランとレノンの関係は続き、“Instant Karma”などのシングルを録音し、その後の画期的なアルバム『Imagine』では、タイトル曲、“Jealous Guy”、“How Do You Sleep at Night”でアランがドラムを担当しています。レノンとの仕事をきっかけにジョージ・ハリスンに紹介されたアランは、1970年にリリースされたシングル“My Sweet Lord”を含むアルバム『All Things Must Pass』への参加をアランに依頼します。その後、アランはBilly Preston、Rosetta Hightower、Doris Troyなど、アップル・レーベルの多くのアーティストと仕事をしました。

1972年7月27日にイエスに加入したアランは、わずか3日間で楽曲を習得し、1972年7月30日、テキサス州ダラスで1万5千人のファンの前でUSツアーの幕開けを飾りました。 以来、アランはイエスに在籍し、2015年6月に創設メンバーであるクリス・スクワイアが亡くなった後は、アランは最も長くバンド活動を続けているメンバーとなりました」

今週初め、イエスはホワイトが健康上の問題から、6月からスタートする『Close To The Edge(危機)』の50周年を記念した英国ツアーに参加しないことを発表したばかりでした。この『危機』50周年記念ツアーは9月には日本でも開催される予定です。