デフ・レパード(Def Leppard) の
フィル・コリン(Phil Collen) 、発売35周年を迎えたアルバム『Hysteria』の全曲を語る。英国の音楽&楽器のサイトMusicRadar企画
1. Women
「マット(プロデューサー/共作者のロバート・ジョン・"マット"・ラング)がアイデアを持ってきたんだ。彼は女性を擁護するような曲で、よくある女性差別的なことを言わない曲を作りたかったんだ。女性を祝福するような曲だね。これは主に彼の曲で、僕らはそれに沿って作ったんだ。
イントロの部分、リフなギターラインはレスポール・カスタムを使った。メインのリズム・ギターは、フェリックスと呼んでいるフェンダーのストラト。ハイブリッドのようなものだった。素晴らしいサウンドのギターだったんだけど、残念なことに壊れてしまったんだ。今は(米カリフォルニア州)コロナのフェンダー・ロックンロール博物館にあるんだ」
2. Rocket
「デモの段階でも、ジョー(エリオット)は“アフリカのブルンジ族のリズムを使うアイデアがある”と言った。70年代に“Burundi Black”という曲があったんだけど、それを思い出して、そのフィーリングを使って本物のロック・アンセムにしようというアイディアだったんだ。ちょっと奇妙で風変わりな曲だったけど、うまく出来上がったよ。
“Rocket”はデフ・レパードの絶対的な頂点だと思うんだ。マッシヴなドラム、マッシヴなギター、ビッグなコーラス、そして歌詞は(カヴァー)アルバム『Yeah!』に通じるものがある。僕らが影響を受けたすべての要素がここにあるんだ」
3. Animal
「この曲はダブリンで書いたんだけど、これは僕のアイデアみたいなものなんだ。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドが当時とても人気があったので、その要素を取り入れたかったんだよ。トレヴァー・ホーンが彼らのアルバムをプロデュースしていたんだけど、そのサウンドは素晴らしかったんだ。
(ニュー・ウェイヴ・ロック・バンドの)フィクスの要素も取り入れようとしたんだ。あの“プルルルルルル!”っていうギターもね。でも、僕らは惨めに失敗したけどね (笑) 。
なぜか全部で3年かかった。ダブリンで始めて、オランダでレコーディングして、ジョーはパリでヴォーカルをとったんだけど、 ひどい出来だったんだ(笑)。その作業の後、マットは“ヴォーカルはそのままで、曲を書き直そう”と言ったんだ。
それで僕はマットとスティーヴ(クラーク)と一緒にデモを作ったんだ。デモとはいえ、僕たちはエンジンがかかっていた。スピーカーから少しフィードバック(※アンプとギターとの共鳴によって生み出されるノイズ)があったけど、それがアルバムに入っちゃったんだよ(笑)」
4. Love Bites
「マットはこの曲をアコースティックなものとして持ってきたんだ。彼の声はちょっとドン・ヘンリーっぽいんだ。彼は素晴らしいシンガーで、シャナイア・トゥエインやブライアン・アダムスのアルバムで聴くことができるよ。“Love Bites”のバック・ヴォーカルはほとんどマットだ。
最初は僕とスティーヴとマットでデモを作って、それからバンドのみんなと一緒に考えたんだ。これも僕とスティーヴのデモ・ギターがアルバムに収録されているんだ。
本当に面白いことに、最初の音はとてもひどかったんだ。“(悪くても)今はいいんだよ”という感じだったんだよ。でも、特に初めて演奏するものは、その意図が重要なんだ。2回、3回と演奏するうちに、それがわからなくなるんだ。だから、“Animal”と“Love Bites”は、本質を素早くとらえることができたんだ。
エモーショナルな曲だよね。僕は母親を基準にしているんだけど、母親がこの曲を初めて聴いたとき、泣き出したのを覚えているよ。ジョーは素晴らしいヴォーカルを披露してくれた。彼のベストパフォーマンスの一つだろうね」
5. Pour Some Sugar On Me
「この曲は、僕たちが最後にレコーディングした曲。アルバムは全部できていたんだけど、ある日ジョーがスタジオの廊下に座って、アコースティックギターをかき鳴らしながら“♪Pour some suga on meeee〜”と、ボブ・ディランみたいな感じで歌っていたんだ。マットはそれを聞いて、“なにそれ?曲にしようよ”と思ったんだ。
マットはカントリーの大ファンで、指でギターを弾くんだ。彼がこの曲のラインを聴かせてくれた時、僕は“そんな風に弾けないよ、僕はメタルピックを使ってるんだ”と言った。結局、普通に弾くことにしたんだけどね。
それから“ヴァースやラップの部分があるとギャップがあっていいよね”と言っていた。それで、グランドマスター・フラッシュの“White Lines”を思い浮かべて、そのスタイルのギター・リフを作ったら、すごくいい音がしたんだ。それを大きなスネアと“Heyyyys!”で始めて、それが今の曲になった。10日間でレコーディングしたんだ。
このアルバムは(米国では)発売直後、成功しなかった。でも、面白いことに、フロリダのストリッパーたちはこの曲を彼らの日課に入れ始めたんだ。この曲で踊るのが大好きで、すっかり気に入って、地元のラジオ局に電話して、この曲を流してくれるように頼んでいたんだ。
それで盛り上がったんだよ。その曲はいつの間にか全米、カナダ、あらゆる場所で大流行したんだ。つまり、フロリダのストリッパーたちが、この曲を流行らせたというわけなんだ。そうだろう? (笑)」
6. Armageddon It
「当初、これはリック・サヴェージのものだったんだ。“ダダダダダダ”って感じで、俺たちはみんなT・レックスの大ファンだから、“もっとセクシーにしようよ、Bang A Gongのように”って言っていたんだ。それで、その雰囲気を出したんだ。
レコーディングは楽しかった。ガイド・ヴォーカルもあったし、T・レックスのグルーヴもあったし......全部、簡単に乗せることができた。レコーディングでは、余計なことは一切せず、そこにあるべきものを置くだけだった。何をやっても、メロディーの邪魔をすることはなかった。
ギターの音やハーモニクス、ベルみたいな音が入っているんだ。ヘッドホンマニア向けかもしれないけど、フックとして機能するんだよ。もう一つ、マットの天才的なところは、サブリミナル・フックの作り方だ。あるものが聞こえてきて、それが何であるかに気づかないかもしれない。そして、いつの間にか別のものが聞こえてきて、曲全体が開いていくんだ」
7. Don't Shoot Shotgun
「元々はストーンズ的な感じだったんだけど、AC/DC的な感じにしたかったんだ。歌詞はとてもクールなんだけど、曲を仕上げるのに十分な時間が取れなかったと言うのが正直なところなんだ。題材的には......タイトルはもっと良いものがあったかもしれないね。あとは、とてもグルーヴ感があるよね。
テレキャスターを使ってみたんだけど、キース・リチャーズをイメージしていたんだけど、結局AC/DCになってしまったね」
8. Run Riot
「これも最後までやりきれなかった。コーラス的な作業をする時間が足りなかったんだ。歌詞は素晴らしいのに、コーラスになるとあまりにも......よくわからないけど、これは僕の意見だけど、ジョーも同じことを思っているよ。
ちょっとポップでハッピーすぎるかな。ヴォーカルのメロディがちょっとメジャースケール過ぎた。特にタイトルは、もっとロックンロールに徹するべきだった。パリから戻ってきて、ソロを弾くのに手間取って、何度か失敗したのを覚えているよ。昔は、それを聴くと本当に悔しかったけど、もう25年も前のことなので、もういいやと思っているよ。
今は、失敗があるのがいいと思っているんだ。何か演奏して、苦労して、少し不都合があっても、それはそれでいいんだよ」
9. Hysteria
「壮大な曲だよね。僕たちはこの曲に多くのものを注ぎ込んだ。リック・サヴェージがギターでこのアイデアを出して、僕の最初の歌詞を歌い継いだんだ。それをスティーヴ、ジョー、マットのところに持っていったら、それぞれのパートを加えてくれたんだ。
リック・アレンがアルバムのタイトルを『Hysteria』にしようと言ったので、この曲も同じ名前にすることにしたんだ。曲のベースができたら、あとはすべてのパートを書き下ろすだけだった。
“gotta know tonight”のパートでは、アルペジオを使わないように、すべてのギターの弦を別々に録音した。マットは“キーボードではなく、ギターでやってほしい”と言っていた。アルペジオではないサウンドが必要だったんだ。一音一音別々に叩くと、全然違う音になるんだよ。見事なサウンドだよね。
スタジオでスティーヴと一緒にソロをライヴで演奏したんだ。同じ音を出しているのに、ビブラートのかけ方が全然違うんだよ」
10. Excitable
「“プリンス・ミーツ・マイケル・ジャクソン”を目指したんだ。マイケル・ジャクソンとミック・ジャガーのデュエット・ソングで“State Of Shock”という曲があった。これらのダンスの要素を全て合わせようとしていたんだ。
サヴ(リック・サヴェージ)がアイデアを出して、それを打ち合わせたんだと思う。この曲で重要だったのは、あまり目立ちすぎないようにしたこと。いろんなジャンルやムードを取り込んで、ミックスしていったんだ。素晴らしいものができたと思う。いつかまたライヴで演奏してみたいね」
11. Love And Affection
「パリのアパートの周りに座って、この曲のアイデアを思いついたんだ。レコーディングの前に実際にライヴで演奏したんだ。この曲はほとんどシングルになりかけていた、多くの人がこの曲を求めていたんだよ。もし出ていれば、僕たちば8枚のシングルを出していただろうね(笑)。
とてもすんなりと出来上がった曲で、レコーディングもとても楽しかった。なぜ最後に収録されたのか、僕にはわからない。もし、この曲をアルバムのメインセクションに置いていたら、すべてがコマーシャルでポップになりすぎてしまったと思う。だから、この曲はアルバムの最後に収録されたんだけど、それはそれでいいんだよ。こういう曲をクローザーに据えるのは好きなんだ。すごくいい感じに仕上げてくれるんだよ」
●最後にアルバムについて
『Hysteria』のレコーディングには3年の歳月がかかり、「主に最初の頃は少しクレイジーになったこともあった」と認めるコリンですが、完成した作品を最初から最後まで聴いた時のことははっきりと覚えています。
「オランダの湖畔にある小さな家に滞在していた。スティーヴがアルバムを持ってきて、それをかけてくれたんだ。多くの曲でドラムを聴いたのは初めてだった。レコーディングの時はクリックに合わせて演奏することが多かったからね。アルバムを聴いて“もしこれが1枚だけ売れて、僕の母親だけが買ったとしても、それでも幸せだ”と思ったんだ。今まで聴いたことのない最高のものだった。大満足だった。とても誇らしく、嬉しかった。今でも聴いて、同じように感じることができるよ」。
VIDEO