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キッス/アイアン・メイデン/プリンス/ビリー・アイドルなど 伝説的なボディーガード “ビッグ”ジョン・ハーテ死去

2022/02/14 17:58掲載
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Kiss with
Kiss with "Big" John Harte in 1981 (Image credit: Waring Abbott)
キッス、アイアン・メイデン、プリンス、ビリー・アイドルなど、さまざまな象徴的なミュージシャンのボディガードを長年務めた“ビッグ”ジョン・ハーテ("Big" John Harte)が死去。70歳でした。

ニュージャージー州に生まれたハーテは、プロのミュージシャンを目指していましたが、グレイトフル・デッドのコンサートで目撃されたことがきっかけで、新たなキャリアが始まりました。

ハーテは回顧録でこう話しています。

「そのライヴで俺が注目されたのは、体格が良く、デニムと黒の服を着て、バイカーのような口ひげを生やしてタフに見えたからで、乱暴な観客にも対応できたからなんだ」

「すぐに、パサイックのキャピトル・シアター、ジャージーシティのルーズベルト・スタジアム、ニューヨークのフィルモア・イーストで、グレッグ・オールマン、ルー・リード、ニューヨーク・ドールズなどのミュージシャンの警備を担当するようになったんだ」

「お客さんの案内から、演奏者のための楽器のチューニングまで、コンサートをスムーズに進めるために必要なことは何でもやって、音楽ビジネスのすべての側面を一から学んだんだ」

1975年末にキッスからオファーを受け、その後8年間、キッスのためにフルタイムで働きましたが、1983年にキッスのマネジメントと報酬について揉めて、アイアン・メイデンで働くことになりました。メイデンでは1985年と1986年にも働いています。

1987年にはプリンスの「Lovesexy」ツアーに参加、同時期にはビリー・アイドルのツアーにも参加しています。

「プリンスとは毎晩、ショーの後に少しだけ話をしたよ。彼は素晴らしいミュージシャンだった。彼は自分の仕事を本当に愛していた。決してやめようとはしなかった。スタジオでバンドと一緒に演奏しているのを見たことがある。バンドの演奏が終わっても、彼は演奏を続けていた。彼は人が言うような飄々とした人ではないよ」。

ハーテは2003年のキッス/エアロスミスのツアーを最後に活動を引退しましたが、バンドとは良好な関係を保ち、2017年のKiss Kruiseにゲストとして参加しています。

ハーテは自伝『Untold Stories From Kiss & Iron Maiden』の制作を開始し、2018年初頭にはプロジェクトを支援するためのPledgeMusicキャンペーンを立ち上げました。翌年、PledgeMusic崩壊の犠牲となりましたが、自伝は2023年に出版される予定です

アイアン・メイデンのドラマーであるニコ・マクブレインは、ハーテに敬意を表して「ジョンは数年間、俺たちと一緒に仕事をした。最近、彼と一緒になり、一緒に笑ったり、話をしたりして楽しい時間を過ごしたんだ。彼は素晴らしい人で、家族の大切な一員であり、惜しまれています」と追悼しています。

キッスでは、ジーン・シモンズは「安らかに眠れ、ジョン・ハーテ。素晴らしい人だった。彼は70年代の我々のセキュリティ担当だった。彼の家族に祈りと哀悼の意を表します」、ポール・スタンレーは「とても悲しい。"ビッグ・ジョン"・ハーテは最初から我々と一緒にいたし、いつも家族のような存在だった」とそれぞれツイートしています。