Deep Purple: Budokan, Tokyo - Don Airey´s sound-check
ジョン・ロード(Jon Lord)の後任として
ディープ・パープル(Deep Purple)に加わった
ドン・エイリー(Don Airey)。パープルに最初呼ばれた際、間違った飛行機に乗ってしまい、その結果、リハーサル時間が15分しかなく、気がついたらディープ・パープルと一緒に3万人の観客の前で演奏していたことを、米ローリングストーン誌のインタビューの中で振り返っています。
2001年のジョン・ロードの脱退は、当初、健康上の問題に対処するための短期的なものと思われていましたが、ロードは復帰しませんでした。急遽起用されたエイリーは、翌年には正式な後任として決定し、2006年に正式メンバーとなっています。
エイリーはロジャー・グローヴァーから、ヨーロッパでの公演でロードのポジションをカバーしてほしいと頼まれました。
「あるフェスティバルのために、オーケストラの仕事をしていたんだ。非常にタイトな納期で4つのアレンジを担当していたんだけど、ロジャー・グローヴァーから電話がかかってきて、“週末は何をしているんだ?”と言われたので 僕は“ちょうど家にいるところだ”と答えた。すると彼は“ジョン(ロード)が入院することになったので、彼の代わりに3つのライヴをやってくれないか”と言われた。僕は“今週末?”と答え、“いいよ、セットリストは?”と言った。ロジャーは ”何がいい?”と言っていた(笑)。
僕らはセットリストを作った。もちろん僕にとっては、とてもよく知っている曲ばかりだったけど、おかげで2晩続けて起きていなければならなかったんだ。
そのあと、バッグに荷物を詰めてヒースロー空港に向かった。ところが、間違った便に乗せられてしまった。夜6時から9時までリハーサルを予定していたんだけど、9時15分に到着したんだ(笑)。乗った飛行機が間違っていたんだよ」
その結果、リハーサルは15分しかできませんでした
「ロジャーが“Woman From Tokyo”をやろうかと言った。僕は“OK”と答えた。最後にロジャーが来て、“ようこそ、バンドへ”と言ってくれたんだ。とてもうまくいったよ。そして、スティーヴ(モース)が“Foolsという曲があるんだ。知っているかな?”と言ったので、僕は“少しだけ”と答えました。すると彼は“途中まで書き直したよ”と言った。彼は僕に中間部分を教えてくれて、それで(リハーサルは)終わったんだ。
次の日、スティーヴが1時間ほど僕の部屋に来て、“The Well-Dressed Guitar”という彼のインストゥルメンタル曲を教えてくれた。気がついたら、僕はディープ・パープルと一緒に、スカネルボルグ・フェスティバルに立ち、3万人の観客の前で演奏していた。ちょっとしたショックだったよ(笑)」