Janis Ian in 1966. Photograph: George Schowerer
ジャニス・イアン(Janis Ian)は、一緒にクラブ巡りをしていたという
ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)をはじめ、
ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)、
ジェームス・ブラウン(James Brown)、サルバドール・ダリなど交友関係のあった伝説的人物との思い出を英ガーディアン紙のインタビューの中で語っています。
イアンは「Society's Child」(1965年)とデビューアルバム(1967年)の成功により、ニーナ・シモン、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスなどとの交友関係を持つことになりました。
「私は16歳で、ジミと一緒にクラブ巡りをしていました。一晩で、ヴィレッジ・ゲートでニーナ・シモンを見た後、ガスライトに行って他の人を観ることもあったわよ」
ヘンドリックスは彼女の9歳年上でした。
「私は本当はコカインを試してみたかったんだけど、ジミはひどく中毒になっていたので、それには大反対でした」
ある夜、イアンとヘンドリックスはヴィレッジ・ゲートにB.B.キングを観に行き、B.B.キングは演奏を中断してマーティン・ルーサー・キングが亡くなったことを告げます。驚くべき逸話ですが、当時、彼女はそれが並外れたことだと認識していたのでしょうか?
「将来、伝説になる人たちと一緒に過ごしているとは思っていなかったわよ」
別のある夜、ジャニス・ジョプリンと一緒にパーティーに参加したとき、ヘロインの売人が無料で配っていたことをイアンは思い出しています。ジョプリンは自分の分を受け取る前に、イアンに向かって「お子様は、そろそろ帰ってちょうだい」と言ったそうです。ジョプリンもイアンがドラッグをすることには反対でした。
イアンはその後、レナード・コーエンやジェームス・ブラウンに誘われて、彼らのレコードにバッキング・シンガーとして参加します。
ジェームス・ブラウンとのセッション中、彼は歌っている彼女を呼び止めます。彼は「もし、君に●●●(Nワード)のような声を出してほしかったら、●●●(Nワード)を雇っていただろう。もう一度やってみて、今度は白人の声で」と言ったとイアンは振り返っています。
サルバドール・ダリはアルバム・カヴァー用に彼女の肖像画を描くことを申し出たという。