著名アーティストのセッション・ミュージシャンとしても活躍してきた
ダニー・コーチマー(Danny Kortchmar)は、米ニュージャージーのThe Aquarian Weekly紙の取材に応じ、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウンとのレコーディングの逸話や、70年代のシンガーソングライターの時代を振り返っています。
Q:ドン・ヘンリー、ボブ・ディラン、キャロル・キング、ジェイムス・テイラー、ウォーレン・ジヴォン、ニルソン、ニール・ヤングなど、数多くのアーティストと共演していますね。彼らと一緒に仕事をする上での共通点や相違点はありますか?
「彼らのように優秀なソングライターになるには、それなりの代償を払う必要がある。簡単に抜け出す方法はないし、“社会にうまく適応したかっこいい男”のままではいられない。あのようなアートを創造するには多くのことが必要だ。彼らは普通の人たちではない。このようなことをするためには、少しクレイジーになる必要があるんだよ」
Q:ディランのアルバム『Shot of Love』のセッションはどのようなものでしたか?
「素晴らしく、とても楽しかったよ。親友のドラマー、ジム・ケルトナーに誘われて、ボブがサンタモニカに借りていた倉庫のスタジオに行ったんだ。ぶらぶらしているうちにボブが現れて、僕は新入りだったので、“やあ、ボブ。調子はどうだい?邪魔はしないよ”と言うと、彼は“君がここにいる意味があるのか”と言った。 それからは本気になって立ち向かって、好きなようにプレイし、全力で取り組み、一歩も引かなかったんだ」
Q:セッションやステージで複数のギタリストが参加している場合、誰が何を演奏するかはどのように把握しているのですか?
「バンドの中にどんなギタリストがいるかによるよ。イミディエイト・ファミリーは3人がギターを持っているけど、ほとんど会話はない。みんな何をすべきか知っている。他の人がやっていることをやってはいけない。周りで起こっていることに耳を傾け、反応し、対応する。僕たちは皆、 地獄耳を持っているんだ。もしも僕が今まで一緒に演奏したことのない2人のギタリストと演奏するとしても、もしかしたら後で簡単なディスカッションがあるかもしれないけど、注意を払い、耳を傾け、反応するよ」
Q:1986年にリリースされたニール・ヤングのアルバム『Landing on Water』での共演はいかがでしたか?
「ニールは偉大で素晴らしい人だよ。彼と出会ったのは60年代のことで、ローレル・キャニオンの周辺にいる人たちと知り合ったんだ。ニールとモンキーズと一緒にレコーディングをしたことがあるよ。『Head』というバカバカしい映画のためだったんだけどね。そのアルバムには僕も何曲か参加していて、そのうちの1曲はニールとライ・クーダーの“As We Go Along”なんだ。
『Landing on Water』はとても楽しかったし、素晴らしい時間を過ごすことができた。ニールは僕に電話をかけてきて、アルバムを共同でプロデュースすることに興味があるかどうかを尋ねてきた。僕は親愛なる友人2人に連絡を取った。ニコ・ボーラスは優秀なエンジニアで、根っからのロックンローラー。そしてドラマーのスティーヴ・ジョーダンは現在ローリング・ストーンズのツアーに参加しているよ。僕はシンセとリズムギターを担当して、ひたすら演奏した。ニールは無限のエネルギーを持っていて、それが伝染するんだ。彼は心の底から演奏する。彼のやることなすことすべてが全力なんだよ」
Q:あなたとニールは、ギターでお互いにリフを作ったりしましたか?また、あなたがギターを弾いた曲はありますか?
「僕はシンセサイザーとリズムギターを担当した。僕の役割は、ニールとジャムることではなかった。僕の役割は、彼が演奏するためのトラックを作ることで、彼はすべてのリードを演奏した。このアルバムは非常に過小評価されているけど、彼は全力で演奏している」
Q:このアルバムが過小評価されているのは、当時、ニールがゲフィン・レコードと対立していたために十分なプロモーションが行われなかったからだと思いますか?
「ニールとゲフィン・レコードの間には、彼らの考えるニール・ヤングらしい作品をニールが提供しなかったために、多くのストレスがあった。まるで、ニール・ヤングらしい作品などないかのようにね。彼は自分の本能に従って、その方向に進んでいく。彼はいつも同じことを繰り返したいとは思わない。それは彼の本質ではないんだ。彼はレコード会社を喜ばせるためにそこにいるのではないし、レコード会社が売りやすいレコードを作るためにいるのでもない。それは彼のやっていることではない。彼は、心の底から出てくるもの、意味のあるもの、感じるものを作るために存在しているんだ。おそらくそこに葛藤が生まれたのだろうね」
Q:一緒に演奏したりツアーをしたりしているデヴィッド・クロスビーはどうですか?
「彼はここ4、5年の間に4、5枚のアルバムを出している。とても充実していて、美しい歌声、高い知性を持ったソングライター、そして洗練された人物だ。彼が音楽を作っているのを見るのは嬉しいことだし、彼が生きていることにも感激しているよ」
Q:しかし、彼が他のCSN&Yのメンバーを怒らせてしまったのは残念なことです。
「彼らはいつも一触即発の関係にあり、昔から知り合いだっただけに残念だよ」
Q:『Running on Empty』のアルバムやジャクソン・ブラウンとのツアーの思い出は?
「楽しかったね。ジャクソンは大胆不敵な人で、ツアー中にどこでもいいから新曲を録音したいと考えていた。ライヴ、観客の前、ホテルの部屋、楽屋、バスの中...どこでもいいんだ。そのためには、かなりの勇気が必要だった。彼にとても野心的で、これらの曲は非常にうまくいった。
人々がすでに聞いたことがあるかのように受け入れられた。初めて“Running on Empty”を聴衆の前で演奏したとき、彼らはまるですでにラジオで放送されているかのような反応を示したくれた。観客は彼の新曲を受け入れてくれたし、それが彼のやり方なんだ。彼らは彼について行き、彼を信頼して受け入れてくれるだろう」
Q:70年代のシンガーソングライターの時代を振り返ってみて、どう思いますか?
「当時はシンガーソングライターという言葉はなかった。あれはジャーナリストが作った言葉だ。僕たちはただ、音楽で、良い曲だと思っていた。ビートルズ以降、アーティストは曲を作るだけでなく、演奏することも求められるようになった。ジェイムス、キャロル、ピーター・アッシャー、そして『Tapestry』をプロデュースしたルー・アドラーと一緒に仕事をしたことで、僕たちは曲を演奏するのがとても上手になり、その結果、僕たちは呼ばれるようになった...僕たちは上手だったからね」
Q:『Tapestry』や『Sweet Baby James』などのアルバムを録音しているときに、それらがどれだけ大きくなるのか、また「シンガーソングライター」というムーブメントの先駆けになると考えていましたか?
「いいえ。とても良い作品であることは知っていたよ。ジェームスが素晴らしいことは知っていた。彼と一緒に育ったからね。キャロルが素晴らしいことも知っていた。キャロルは『Tapestry』の前に2枚のアルバムを作ったけど、それはうまくいかなかった。ひとつは『The City』、もうひとつは『Writer』。どちらも素晴らしい曲が収録されていて、とても良かったんだけど、結果的には失敗に終わってしまったので、このアルバムが大ヒットすることにはあまり期待していなかった。プロデューサーのルー・アドラーは先見の明があり、彼女がどれほど大きな人気を得るかを察知していた。彼はタイミングを見計らっていたんだ。当時の人々が求めていた音楽だったんだ。僕はただ曲を覚えていただけなので、それを感じ取ることができなかった。僕の専門は、何かを決めることではなく、曲を作り、ギターを弾くことだからね」