スティーリー・ダン(Steely Dan)の長年のプロデューサーであるゲイリー・カッツによると、1977年アルバム『Aja』の収録曲「Peg」はもともと、
イーグルス(Eagles)の
ドン・ヘンリー(Don Henley)をバッキング・ヴォーカルに迎えようとしたものの、うまくいかなかったため、ヘンリーを解雇しなければならなかったという。
カッツはUltimate Classic Rockのインタビューの中で、スティーリー・ダンとイーグルスの両バンドともアーヴィング・アゾフがマネージメントしており、仲が良かったため、カッツがヘンリーに「もう必要ない」と言わなければならない状況になってしまったのだという。
カッツによると、曲が出来上がっていく中で、カッツは
ドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)と「二人ともヘンリーの歌が好き」と確認しあったそうで、そこから「ヘンリーとリンダ・ロンシュタットを呼んでみないか? クールだし、何か違うものになるかもしれない」という話になったという。「それでアーヴィングに電話したんだ...リンダは体調が悪かったので、ニコレット・ラーソンに来てもらったんだ」とカッツは話しています。
カッツによると、フェイゲンは「ピアノの前に座って“このパートはこうだよ”と言っていた。僕たちはその曲をスピーカーで流し、フェイゲンがピアノで一人一人のパートを教えていた」という。
2度目の挑戦でも、同じような残念な結果になってしまいます。カッツは「忍耐ではなく、その場の状況に応じて即座に対応することが必要だった。僕たちは、うまくいきそうだと思わせて2時間も座らせて、人をコキ使うようなことはしなかった。ダメだとわかったら、フェイゲンが僕に“終わらせてくれ”と言うんだ。それで、もう一度歌ってもらったけど、ダメだったんだ」
そのとき、フェイゲンはバンドメンバーの
ウォルター・ベッカー(Walter Becker)を「サンドイッチを買いに行こう」と誘っており、2人がスタジオを離れたとき、フェイゲンはカッツに「彼らをクビにしてくれ」と言ったそうです。
カッツは「僕はその通りにしたけど、それ以来35年間、さまざまな形でこの話を耳にしてきた」と言い、また「ヘンリーに最後に会ったとき、彼は僕のそばに寄ってきて“今日もクビにするつもりか、カッツ”と言ったんだよ」と話しています。
カッツは「難しい一日だったよ。(フェイゲンやベッカーと同じように)僕もサークル・グループの一員だったからね。僕たちは皆同じ小さなエリアにいた。同じ場所に住み、同じマネージャーがいた。ロサンゼルスでは長い間、イーグルスとスティーリー・ダンが中心だったんだ」と話しています。
このあと、旧友の
マイケル・マクドナルド(Michael McDonald)が代わりに「Peg」を完成させるために呼ばれました。
カッツは、スティーリー・ダンが
ドゥービー・ブラザーズ(The Doobie Brothers)を初めて聴いたのは、ライヴ後の会話からだったことを思い出しています。
「バンドもスタッフも、バーに行って何かをするものだったが、ドナルドとウォルターと僕は行ったことがない。いつもはホテルに戻って食事をして、ジョイントを数本吸って(ボードゲームの)スクランブルをしたりしていた。
その後、ギタリストのデニー・ディアスも加わり、彼は彼らに“白人の男がレイ・チャールズのような声を出しているのを聞いたよ”と話したんだ。
(ディアスは)信頼できる情報源だった。結果的にはマイケルだったんだけどね」
こうして、マクドナルドは「Bad Sneakers」を録音することになり、カッツは「なかなか良かった」と振り返っています。