エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)は英ガーディアン紙の企画で、さまざまな読者の質問に答えています。OBE(大英帝国勲章)を受け入れたこと、ニール・ヤングやフィオナ・アップルとの出会い、バート・バカラックとの新曲、レモネード、自身のヒーローなど。チャーリー・ワッツとの逸話も語る。
Q:1987年にグラストンベリー・フェスのピラミッド・ステージでヘッドライナーを務めたことは、フェスティバルで最も素晴らしい2時間でした。賛成しますか?
「僕がグラストンベリーのピラミッド・ステージでヘッドライナーを務めたことがあると言えば、パブ・クイズで賞金を獲得したり、抑えきれないほどの笑いを誘うことができるけど、当時は違っていた。84年の方が良かったと思うよ。最近だと、ローリング・ストーンズがヘッドライナーだった時(2013年)に、その2つ前に出演したんだけど、キース・リチャーズ、ミック・テイラー、ロニー・ウッドと話をしていると、チャーリー・ワッツがやってきて、僕に挨拶もせずにこう言ったんだ。“おい、ウッディ(ロニー・ウッド)?ダイアナ・クラールと結婚したこの男は誰だい?何なんだ?”。とても嬉しかったよ、ジャズ好きの彼は、僕の妻の大ファンだったからね」
Q:OBE(大英帝国勲章)を受け入れるということは、「Any King's Shilling」を書いた人ではないことになるのですか?
「OBEは、僕が持っていることを誰も知らないMTVビデオ・ミュージック・アワードと並んで、僕の食器棚の中にある、もうひとつの宝物のようなものだ。祖父のパット・マクマナスはロイヤル・アイリッシュ連隊に所属していて、王と国のために戦って受けた傷が原因で病気で亡くなったんだ。僕の父(ロス・マクマナス)は、1962年にバッキンガム宮殿の職員舞踏会で演奏するために、取引業者用の入り口から入ったんだ。だから、母が僕に”笑いながら行きなさい”と言ったことはさておき、僕は“玄関から入るんだ”と思っていた。帝国というものがおかしなものであり、醜いものであるという僕の考えは変わらない。そこで働いていた紳士の一人が僕のファンで、バッキンガム宮殿のメモ用紙に素晴らしいセットリストを書いてくれた。それが僕の一番いい思い出だよ」
Q:『This Year’s Model』はあなたの最高のLPだと思います。あなたはそう思いますか?
「35日ごとに賛成だが、別の日には『North』のような、多くの人が好きではないものを、心の底から勧めている。音楽業界では、新しいアイデアよりもオーソドックスなものが好まれるけど、僕はオーディエンスの一部を失うリスクを冒してでも、常に他のことをやろうとしてきた」
Q:テイラー・スウィフトがアルバムの新ヴァージョンをリリースしているのを見て、あなたが再訪したいと思っているアルバムはありますか?
「『This Year’s Model』は、スペイン語圏の歌手を起用した『Spanish Model』として制作したよ。もしテイラー・スウィフトが僕のアルバムをすべて録音したいと言うのであれば、僕は彼女を止めないよ」
Q:観客に占める女性の割合はどのくらいですか?
「どう見るかによるね。イギー・ポップに“(ハリウッドの会場である)Whisky a Go Goには、映画のようにポニーダンスをするヒップスター姿の女の子がたくさんいると想像していたけど、僕が演奏したときには違っていた」と話したことがある。1960年代には僕が想像していた通りだったけど、しかし、現実はそうではないことが多い。ジョン・クーパー・クラークの言葉を借りれば、坊主頭の男と長年連れ添った妻が、僕たちの演奏を聴きながら“寒いわ、チャーリー、まだ終わらないの?”と言っていることが多いんだよ」
Q:バート・バカラックとコステロの新作がブロードウェイで上演される可能性があるというニュースはありますか?
「バートと僕は、夏にキャピトル・スタジオで30人編成のオーケストラと一緒に、30年近いコラボレーションを振り返るコレクションのために新曲を2曲作ったよ。僕たちは12年ほど前に2つのミュージカル作品の音楽を同時に制作したけど、残念なことに『Painted from Memory』と『Austin Powers』のミュージカルの企画が法的な問題にぶつかってしまったんだ。少なくとも、僕たちは再び一緒に仕事をすることができた。彼は93歳だけど、その集中力は衰えていないよ。彼はこう言うだろう。“エルヴィス、6小節目のメロディーが間違っているよ”」
Q:ロバート・ワイアットの「Shipbuilding」以外で、あなたが気に入っているカヴァー・ヴァージョンはありますか?
「ロバートが歌うために書い曲だから、ロバートの曲がオリジナルで僕の曲がカヴァーだね。僕のお気に入りのカヴァーは、ロイ・オービソンがココナッツ・グローブ(ロサンゼルス)で行ったライヴで披露した“The Comedians”だよ。僕はそのバンドでリズム・ギターを担当したんだけど、この素敵な紳士に会ったとき、彼がそのような声の力を持っているとは思いもしなかったよ。
奇妙なことに、最もカヴァーされている音楽は“The Juliet Letters”なんだ。ポーランドの素晴らしいキャバレー・ヴァージョン、ピアノ・ヴァージョン、弦楽四重奏など様々なものがあるよ」
Q:ニール・ヤングに会ったり、一緒に仕事をしたいと思ったことはありますか?
「1990年にブリッジ・スクールのベネフィット(ヤングと亡き妻ペギが言語障害児のために行っているイベント)で初めて演奏したとき、アリソンのときにハーモニーを歌う声が聞こえてきて、ニールがハンドマイクを持って出てきたんだ。素晴らしかったよ。
僕がアイルランドに住んでいたとき、彼はスレーン城で演奏したんだけど、ニールの代理人でもある僕の代理人が、彼を驚かせるために“Rockin' in the Free World”で歌うべきだと言ってくれた。僕はステージに忍び込み、ブッカー・T・フロム・ザ・MGsがバッキングを演奏しているなか、彼はピアノを指差して言った。“エルヴィスだ”。まるで夢の中のようだったよ」
Q:YouTubeにアップされているフィオナ・アップルの「I Want You」のパフォーマンスは、衝撃的で、不安をかき立て、さらには動揺させるほどだ。これ以上何が言えますか?
「フィオナがあれをやったとき、彼女の隣に立っていたことを想像してみてよ。アトランティック・シティでのクレイジーなプロダクションでのことだよ。若い世代の人たちが僕たちのことを知っているとは思いもしなかったけど、彼女は全力で取り組んでいた。ギタリストとしては、彼女のテンションに合わせるのが精一杯だったよ。お礼として、彼女の曲“I Know”のカヴァー・ヴァージョンには力を入れたよ」
Q:レモネードについてどう思いますか?
「(笑)。70年代、父が手がけたR・ホワイトのレモネードの広告の歌で、僕はバック・ヴォーカルを務めた。(その広告キャンペーンの)“シークレット・レモネード・ドリンカー”は、お金がなかったクリスマスを救ってくれて、僕がヒットした後に復活したんだ。僕は、(イングランドのマージーサイドにある)バーケンヘッドで人気のあったモアハウスのグリーン・クリーム・ソーダの方が好きだった。モアハウスがR・ホワイトになったことを発見したので、僕はいつの間にかR・ホワイトを飲んでいたようだね」
Q:あなたのお気に入りのリバプールFC XIは何ですか?
「1965年のFAカップのメンバーは、今でも名前を覚えているよ。今年、ロジャー・ハントが亡くなったのは、間違いなく時代の節目だ。僕の究極のヒーローは誰かと聞かれたら、音楽関係者を想像するだろうけど、僕がヒーローとして思い浮かべるのはロジャー・ハントだけなんだ。僕はサッカーが苦手だけど、ロジャーは真のサッカー選手のように見えた。退場処分を受けたこともなかった。彼はロイ・オブ・ザ・ローバーズのような存在で、選手をやめた後は家業に戻って働いていた。彼がクラブに出没することはなかった」