ポール・ギルバート(Paul Gilbert)は15歳のときに
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のバンドに加入するために手紙を書いたことがありました。レーサーXの結成にも繋がった、この1981年の出来事を振り返っています。
インタビュアーが「15歳の頃、(シュラプネル・レコーズの創設者)のマイク・ヴァーニーに手紙を書いて、オジーのバンドに参加したいと言ったそうですが、彼は手伝ってくれますか?」と言うと、こう答えています。
「大体ね。当時、僕はペンシルバニア州の田舎に住んでいたんだ。もちろん、誰にでもメールを送ることができるインターネットが普及する前のことだよ。
僕はランディ・ローズの大ファンで、何度かライヴを見たけど、とても素晴らしかったよ。僕は15歳の子供にしては、かなりそのスタイルに精通していたんだけど、僕がオジーのバンドに参加する可能性は非常に低いことはわかっていたよ。
あまり期待はしていなかったけど、同時に“僕が挑戦しなければ、誰かが参加してくるだろう。僕はそのパートを演じることができる、少なくとも試してみなければならない、もし試してみなければ、それは常に僕を悩ませることになる”とも思っていた。僕はいつも機会を逸することを考えていたんだ。
僕は“どうやって挑戦しよう?誰も知り合いがいない。こんな小さな町にいるんだから。音楽業界に知り合いはいないし、オジーの電話番号も知らないし”と思った。
それで、いくつかのギター雑誌を見て、マイク・ヴァーニーの記事には彼の住所が載っていて、自分の演奏のカセットを送ってくれた人には返事をすると書いてあったんだ。それで彼にカセットを送った。モントローズの“Rock Candy”みたいな曲を弾いたと思う。かなりうまく弾けたよ。
彼は僕に電話をかけてきた。手紙には自分の年齢を書いていなかった。彼は興味を持ってくれて、“とてもいいね。君のことを教えてくれないか”と言っていた。
当時はまだ80年代のヘアメタルの始まりで、誰もが髪の毛を持っていなければならない時代だった。“髪は長いの?”と聞かれたので、“ああ、長髪だよ、パーマもかけたしね。デフ・レパードの人みたいになっちゃった”って言ったら、彼は“クールだね、いい機材を持っているのか”と言い、僕は“ああ、マーシャルのスタックを持っているよ”と話したんだ。
最後に彼は“君はいくつだ”と言ったので“15歳”と答えると、彼は“あー、オジーは15歳の子をバンドに入れたくないんだよね...”と言っていた。
でも、マイクは僕の演奏をとても気に入ってくれて、“どんどん送ってくれ”と言ってくれたので、それが僕のキャリアの始まりになったんだ。
そして、GITに行くためにロサンゼルスに出る頃には、マイクが実際に僕と一緒にレコードを作りたいと思うほどのオリジナル曲を作っていて、それが
レーサーX(Racer X)になったんだ」