イエス(Yes)の
スティーヴ・ハウ(Steve Howe)は、Rock Cellarのインタビューの中で、同時代のプログレ・バンド(キング・クリムゾンやELP、ジェネシス)に大きな敬意を払っていたことを振り返る一方で、彼らの影響を受けないように努力していたと語っています。また、自分たちが独自の創造的な道を歩むために、意図的に自分たちの音楽を「非商業的」にしていたとも語っています。
Q:70年代は、ELPやジェネシスのような先進的なプログレバンドがたくさんいて競争の激しい時代でした。同時代のプログレバンドの中で、あなたが好きなバンドはいましたか?
「ジェネシスやELPにも、もちろん敬意を払っていたけど、やはりキング・クリムゾンだね。キング・クリムゾンは、ある意味でプログレの王様のような存在だったから。彼らは難解なバンドだった。彼らを理解するのは簡単ではないし、“20th Century Schizoid Man”のような非常に攻撃的な音楽もあった。彼らの音楽には様々なレベルがあったんだ。
クリムゾンは、イエスが常に尊敬していたバンドで、ELPもそうだね。ジェネシスはあまり気にしなかった。次のレコードは彼らのようになるべきかどうかを確かめるために、家で彼らの曲を聴いたりはしなかった。彼らの影響を受けたくないがための、最悪の行動だね。彼らどこへ行こうとも、僕たちは別の場所へ行っていたよ(笑)。
自分たちが影響を受けないようにするためだったんだ。 影響を受けるのはとても簡単だ。特に、音楽が自分の周りにある場合はなおさらだよ。
60年代後半には、ギターでも同じようなことがあった。ヘンドリックスやクラプトンがいて、みんなが同じような演奏をしていたけど、僕は“同じような演奏をするつもりはない”と思っていた。それは僕ではないので、コピーする必要はない。そこらじゅうにいたよ。クリームやヘンドリックスから逃れることはできないんだ。
僕は60年代にその2つのアーティストと一緒に演奏した。クリームのオープニングもヘンドリックスのオープニングもやった。彼らを実際に見た。彼らのことを少し知っているだけで十分だったんだ。いきなり“それが僕が進むべき道だ”と言うつもりなかった。なぜなら、それはすでに起こっていたから。だから、僕はギタリストとして、できる限りオリジナルであり続けることを常に意識してきた。僕はチェット・アトキンスに大きな影響を受けたんだけど、彼は誰かのコピーをするような人ではなかったんだ。
僕は何か個性的なものを求めていたし、イエスにもその個性を求めていたので、ジェネシスやELP、クリムゾンのようにはなりたくなかったんだ」
また、ハウは、自分たちが独自の創造的な道を歩むために、意図的に自分たちの音楽を「非商業的」にしていたとも語っています。
Q:どんなバンドでも、成功するためにはターニングポイントがありますよね。イエスのキャリアを振り返ってみて、ブレークスルーにつながるようなことがありましたか?
「その瞬間は“Close to the Edge”だったと思うよ。ジョン・アンダーソンと僕がこの曲を書いたとき、メンバーは“20分だよね。10分はいいけど、20分はどうかな?"”と言ったんだ。それで、リハーサルルームで練習を始めて、ジョンと僕は、彼らが自分のパートに貢献したり、やるべきことを見つけたりするように働きかけたんだ。でも、そのあとに何をしたかというと“他の誰かがどうこうしようとするのはやめて、『Tales from Topographic Oceans』や『Relayer』をやろう”ということになったんだよ(笑)。
これらのレコードは、いくつかのヒット曲があるような商業的なスタイルではなかったので、次のヒット曲を作ろうと思ったんだけど(笑)僕たちはヒット曲は好きではなかった。僕たちはよく音楽の脱商業化をしていた。意図的にね。その轍を踏むな、と。それはポップバンドがやることだからね。基本的に僕たちは自分たちのやり方を持っていた。イエスのキャリアの各年代には、ある種のターニングポイントがあったと思うけど、“Close to the Edge”はそのひとつだね」