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モンキーズのマイク・ネスミスが死去

2021/12/11 03:13掲載(Last Update:2021/12/11 03:53)
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Michael Nesmith, photo by Michael Ochs Archives/Getty Images
Michael Nesmith, photo by Michael Ochs Archives/Getty Images
モンキーズ(The Monkees)マイク・ネスミス(マイケル・ネスミス/Mike Nesmith)が死去。家族は声明の中で、「マイケル・ネスミスが今朝(12月10日)、自宅で家族に囲まれながら穏やかに自然死したことを、無限の愛を込めてお知らせします」と伝えています。ネスミスは78歳でした。

家族は「今は私たちのプライバシーを尊重してくださるようお願いします。皆様が彼と私たちに与えてくださった愛と光に感謝いたします」とも伝えています。

ネスミスは先月、モンキーズのバンドメイトであるミッキー・ドレンツと共にフェアウェル・ツアーを終えたばかりでした。

マイク・ネスミスことロバート・マイケル・ネスミス(Robert Michael Nesmith)は1942年12月テキサス州ヒューストン生まれ。1965年にモンキーズのオーディションを受けて、デイヴィー・ジョーンズ、ピーター・トーク、ミッキー・ドレンツと共にメンバーに選出されます。

モンキーズは、デビュー曲「恋の終列車 (Last Train to Clarksville)」をヒットさせて以来、主役を務めたテレビ番組を戦略のキーとして、従来の音楽宣伝とは違ったプロモーションを展開させることにより幅広い人気を誇るアイドル・グループとなりました。彼らは「I'm a Believer」、「Daydream Believer」「すてきなバレリ(Valleri)」などのミリオン・セラーを連発。ネスミスはモンキーズでは、ギターとヴォーカルを担当しました。

ネスミスは1969年にモンキーズを脱退。その後は作曲と演奏で成功を収め、自身のグループ、ファースト・ナショナル・バンドでも活躍し、「Joanne」がトップ40に入るヒットとなりました。ソロ・アーティストとして活躍。また長年にわたってモンキーズの再結成コンサートを行っていました。

ネスミスは、ホームビデオ会社パシフィック・アーツの経営にも携わり、『レポマン』をはじめとする映画の製作総指揮を務めました。1981年には『Elephant Parts』がグラミー賞のビデオ・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。

ネスミスは2018年、うっ血性心不全と診断され、四重バイパス心臓手術を受けていました。