ロブ・ハルフォード(Rob Halford)は、2003年に
ジューダス・プリースト(Judas Priest)に復帰した時のことを振り返り、脱退時、バンドメンバーに会いたいという気持ちを心を込めて書いた「とても親密で個人的な手紙」をバンドに送ったことで再結成への道が開いたことを英Metal Hammerのインタビューの中で語っています。
ハルフォードは1992年にバンドを脱退し、一時的にソロ活動を行っていました。ハルフォードは後になって「脱退するつもりはなかった」と語っています。ハルフォードの脱退は友好的なものとされていましたが、後年になって多くの話が浮上し、彼らのマネージャーが他のプロジェクトに取り組みたいというハルフォードの希望を完全には快く思っていなかったと言われています。自叙伝『Confess』によると、自分の脱退は単にバンド内の「コミュニケーションの断絶」が原因だと説明しています。
ハルフォードは英Metal Hammerのインタビューの中でこう話しています。
「プリーストに戻ってきた最初のライヴのことは覚えていない。だが、それがいつであっても、その場所に再びいることは完全に自然で普通のことだと感じた。まるで一度も離れたことがないかのように。
当時、俺はサンディエゴに住んでいたが、バンドのことが本当に恋しかった。今ではメールばかりで、手紙を書く人はいないが、俺はコーヒーショップに行ってコーヒーを買い、青い紙と青い封筒を持って外に座り、自分の置かれている状況や感じていることを6、7、8ページに渡って心を込めて書いた。
どれだけバンドが恋しかったかをね。とても親密で個人的な手紙だった。それを我々のマネジメント会社であるトリニフォールドに送り、そのままにしておいた。“どうなるか見てみよう”と思っただけだったが、少なくとも俺の心の中中から、それを取り除くことができた。
抱え込んでしまうと、精神的にもダメージを受けてしまうので、そういうものを吐き出す方法を見つけなければならないんだ。俺は、この手紙に心を込めた。後になってわかったんだが、これは復帰への道のりの一部だったんだ。メンバー全員がこの手紙を読んで、“やろう”と言ってくれたんだ」
プリーストのフロントマンとして復帰することが最終的に確認された瞬間についてハルフォードは、当時発売予定だったボックスセット『Metalogy』について話し合うためにミーティングが行われた時だったと説明しています。
「みんなでボックスセットのことを話したんだ。あれやこれやとね。この曲のこと、あの曲のこと、アートワークのこと、いろいろな話をして、最後に“で......戻ってくるの?”と聞かれて、“ああ、戻ってきたよ”“よし、よかった”と言って、みんな帰っていったんだ。
俺はキッチンに取り残されて、“マジかよ、俺はプリーストに戻ったんだ!”と思った。それはとても...とてもイギリス的だったんだ。イギリス人ってのは大騒ぎしないもんなんだよ......すごくイギリス的だったよ!
でも、素晴らしかった。ウォルソールの通りに出て行って、“プリーストに戻ってきた!プリーストに戻ってきたぞ!”と叫びたい気分だったよ。俺にとってはとても感情的なことだった。バンドは家族のようなものからね。俺は戻ってきた、その後は言うまでもないよね!」