プロデューサーの
リック・ルービン(Rick Rubin)は、
AC/DCの1995年アルバム『Ballbreaker』をプロデュースした際の「奇妙な」経験を振り返っています。
ルービンはクリス・ジェリコの番組『Talk Is Jericho』に出演した際、ジェリコから「AC/DCとの仕事はどのようなものでしたか」と尋ねられ、こう話しています。
「映画のサウンドトラックで1曲一緒にやったんだけど(アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『ラスト・アクション・ヒーロー』の“Big Gun”)、それが成功して、彼らも喜んでくれたんだ。その後、アルバム『Ballbreaker』を作ることになった。
正直言って、奇妙なことだった。ビートルズ以降で一番好きなグループはAC/DCで、歴代の中で世界最高のロックバンドだと俺は思っている。
彼らは完璧なバンドであり、ビートルズのような曲作りの幅や深さはないが、ストレートなロックとしては、AC/DCは完璧だ。だから、これも夢のような話で、難しいプロセスだったんだ。
なぜあんなに難しかったのか分からないが、まずいスタートを切ってしまったのは、ニューヨークにある音の良くないスタジオで作業をしたからで、そのスタジオは俺がいつも作業したいと思っていたスタジオ(The Record Plant Studio)だった。
有名なスタジオで仕事をすることに興奮していたが、決して良い音ではなく、いつも...という感じだった。様々なことを試してみたよ。いい音を出すために100万回もやったけど、何もうまくいかなかった。ある時、マルコム(ヤング、ギター)にこう言ったのを覚えているよ。“どこか別の場所に移った方がいいんじゃないか”。
マルコムは“ヨーロッパでプロデューサーのマット・ランジと一緒にやったときも同じようにしていた。俺らはここでやる。ここはとても良いスタジオだ”と言った。俺は“OK ... ”という感じだった。それで、俺たちはさらに数週間滞在したんだけど、その後、彼が“君の好きなスタジオに行こうよ”って言ったんだ。
で、結局、ロサンゼルスの、俺がよく仕事をしていたスタジオ(Ocean Way Studio)に行くことになったんだけど、すると、良くなったんだよね。
でも、5〜6週間の間、音の悪い場所でアルバムを作ろうとしたことで、アルバムから多くの閃きや良い雰囲気が失われてしまったのは残念だよ。
それに、オリジナル・ドラマー(AC/DCのオリジナル・ドラマーではないがフィル・ラッドの復帰を指す)がバンドに戻ってきた最初のアルバムであり、彼が重要な要素だと思っていた俺にとっては大きな意味があったんだ」