Geddy Lee (Image: [c] Timothy Hiatt/Getty Images)
ラッシュ(Rush)の
ゲディー・リー(Geddy Lee)は、カナダのトロントにある自宅でインタビューに応じ、彼の音楽活動の始まりや、自分がラッシュの創設メンバーではなく、ラッシュに参加した経緯について振り返っています。
初めて買った楽器について聞かれたリーはこう答えています。
「最初に買ったのはアコースティック・ギターだった。母に頼み込んでお金を貸してもらい、隣に住んでいる人からアコースティック・ギターを買ったんだ。
彼は、ヤシの木が描かれた美しいアコースティック・ギターを持っていて、僕はそれが欲しくてたまらなかったんだ。母はお金を貸してくれたよ。もちろん、毎週土曜日にお店で働いてお金を稼がなければならなかったけどね。
ロイ・オービソンの“Pretty Woman”を独学で弾き語りして、すっかり虜になってしまったんだ」
Q:その時、あなたは何歳くらいでしたか?
「僕は12歳くらいで、近所の人たちと小さなバンドを組んで演奏していた。当時は“The Dusty Coconuts”と名乗っていたと思うよ。
当時、僕はギターを弾いていたんだけど、ベースを弾くはずだった子の母親が、彼が人混みが嫌いだからと言って、バンドに入れないと言い出したんだ。
それで、投票の結果、僕が新しいベーシストになることになったので、母のところに行って、ベースを買うためのお金を貸してくれるように頼んだ。近所の楽器店に行ってみると、母はOKしてくれたよ。また土曜日にお店で働いてお金を稼がなければならなくなったけど、それで、初めてエレキベースを買ってから、ずっとそのままだよ」
Q:その頃、あなたは高校生になっていたのですか?
「当時は中学生だった。同じ頃、クラスにアレックス・ジヴォジノヴィチ(セルビア語で“命の息子”の意味/アレックス・ライフソンの本名)という奴がいて、二人とも教室の後ろの方に座っていたんだけど、彼はすごく面白かったんだ。
僕たちは何となくつながるようになり、彼はギターを弾いていたので、いつの間にか一緒にジャムるようになっていた。そのときは、このクレイジーなセルビア人と一生を共にすることになるとは思ってもみなかったよ。
彼はラッシュというバンドに所属していたので、僕は創設メンバーではなく(ラッシュの創設シンガー/ベーシストは厳密にはジェフ・ジョーンズで、彼は1ヶ月しかバンドにいなかった)、ただの友達だった。
彼らは、教会の地下にある地元のドロップインセンターでライヴを行う予定だったんだけど、ベーシストが何らかの理由で参加できなくなり、アルは慌てて僕に電話をかけてきた。“僕たちと一緒にライヴをしてくれないかな?”
僕は“いいよ”と答えた。その日の午後に曲を覚えて、とにかく4曲くらいしか知らなくて、何度も何度も演奏したんだ。
そして、ライヴを行い、その後、地元のデリでフレンチフライとグレービーを食べた。それがアルとのキャリアの始まりだった」