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ヨーロッパのジョーイ・テンペスト、フレディ/レミー/ジョン・ボン・ジョヴィ/アクセル・ローズ等について語る

2021/06/22 15:44掲載
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Joey Tempest
Joey Tempest
ヨーロッパ(Europe)ジョーイ・テンペスト(Joey Tempest)が、フレディ・マーキュリー、レミー・キルミスター、トミー・リー&ヴィンス・ニール、フィル・ライノット、ジョン・ボン・ジョヴィ、ジェイムズ・ヘットフィールド、アクセル・ローズ、ABBAについて語る。英Classic Rockは2010年2月号に掲載されたジョーイ・テンペストのインタビューを同誌サイトにアーカイブ公開しています

●フレディ・マーキュリー

「僕たちはフレディを怒らせてしまったようだ。1988年のアルバム『Out Of This World』のために、(ロンドンの)タウンハウス・スタジオで、プロデューサーのロン・ネヴィソンと一緒にイアン・ホーグランドのドラムをサウンドチェックしていた。突然、少し赤い顔をしたこの人が現れて、こう言った。“冗談だろう?”と。

フレディは隣の部屋でオペラ音楽を録音しようとしていたんだけど、僕たちはドアをきちんと閉めていなかった。彼はこう言った。“君たちのドラムがそのまま僕たちのミキシングコンソールに入っている。静かにしてくれないか”。とても上品で雄弁だったけど、かなりイラついていた」

●レミー・キルミスター

「バンドのメンバー数人が、彼の第二の自宅であるレインボー(LAのサンセット・ストリップにあるバー&グリル)で彼に会った。彼はいつものようにピンボールマシンで遊んでいた。誰かが言った。“こんにちは、僕たちはロックバンドのヨーロッパです”。レミーは顔を上げることもなく、ただこう答えた。“ヨーロッパはロックバンドではない”。

こんなにかっこいい返事があるのか。僕たちは唖然とした。でも、僕たちはそれを笑い飛ばし仲良くなった。その数週間後、Kerrang!誌が僕たちのライヴをレビューして僕たちを“モーターヘッドよりもうるさい”と評したのは有名な話です」

●トミー・リーとヴィンス・ニール

「Final Countdownツアーのサンフランシスコ公演で、トミーとヴィンスが楽屋に挨拶に来た。彼らは、まるで元気な男子学生のようで、僕はとても気に入った。ヴィンスは“今度、俺が車で街を案内してやるよ”と言った。それは(ハノイ・ロックスのドラマー、ラズルがヴィンス・ニールの運転する車に乗車中、事故に亡くなった)交通事故の1年後のことだった。僕たちは、えーと...そうだね。ありがとう」

●フィル・ライノット

「シン・リジィは1983年にストックホルムでシークレット・クラブ・ギグを行った。僕は20歳で、ヨーロッパのファースト・アルバムがリリースされたばかりだった。トニー・レノ (オリジナルのヨーロッパのドラマー)と僕は、その後も残っていた。そのとき、ダンスフロアの隅でフィルがひとり、頭を下げてとても悲しそうにしているのを見て、僕は驚いた。

僕の友人で、リジィとよく仕事をしていた写真家のデニス・オリーガンは“あれは女の子の興味を引くためのフィルのトリックのひとつだ”と後に説明してくれた。それが功を奏したのか、何人かの女の子が彼に近寄ってきた。

彼は僕のヒーローの一人なので、僕は緊張しながら彼のところに行き、“なぜシン・リジィにはリード・シンガーだけのメンバーがいないのか”という質問をしてみた。幸いなことに、フィルは信じられないほど親切でフレンドリーだった。これは僕にとってとても意味のあることで、僕自身も常にファンにはそう接するようにしている」

●ジョン・ボン・ジョヴィ

「ジョンと僕は、これまでに何度か会っている。最初は(英TV番組)『Top Of The Pops』だった。“The Final Countdown”が1位で、“Livin' On A Prayer”がトップ10に入っていたと思う。メディアはライバル意識を持っていると思っているかもしれないけど、僕たちはいつもとても仲良くやっている。日本では、東京のバンドコンテストで、ビートルズの“Get Back”を一緒に歌ったこともある。

お互いに尊敬し合っていて、僕たちはシン・リジィのような同じバンドを聴いて育った。ジョン・ボン・ジョヴィと間違えられたこともあったけど、最近はあまりない。昔は街中でよくあった。誰かが“ヘイ!ジョン・ボン・ジョヴィ!”って叫んでいた。僕はただ笑うだけ。ちょっと面白いよね」

●ジェイムズ・ヘットフィールド

「ジェイムズとは、メタリカがブラック・アルバム(1991年)を制作しているときに出会った。僕は彼に自分たちのアルバムを作っていて、ちょうど“大きなバック・ヴォーカル”を入れようとしているところだと話した。彼は僕を困惑したように見て“バック・ヴォーカル?メタリカはそんなものを使っていない”。そこで僕はあきらめて、別の話をした」

●アクセル・ローズ

「彼と出会ったのは、1980年代から90年代へと移り変わる頃だった。僕にとってガンズ・アンド・ローゼズは、その両方の時代に足を踏み入れた、とても重要なバンドだった。僕たちは武道館で2晩演奏したけど、同じ頃、彼らも武道館で2晩演奏していた。僕たちは彼らのショーに行き、彼らは僕たちのショーに来た。

僕たちはまだ80年代のような大規模な演出をしていたけど、彼らはわずかな照明しか持っていなかった。彼らにはセットリストもなく、スティーヴン・アドラーのドラムライザーに戻って、次に何を演奏するかを考えていた。でも、彼らは素晴らしかった。

皆、最後は有名なレキシントン・クイーン・バーに集まった。奇妙な夜だった。ビールはすぐになくなった。朝の4時か5時には完全に手に負えなくなっていた。トイレでアクセルに会ったけど、彼はとてもフレンドリーで、しばらくバミューダトライアングルについて話していた。しかし、その夜のほとんどの時間、彼は毛皮のコートを着て一人で隅に座っていた。

●ABBA

「成功したソングライターといえば、ABBAのビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンがトップレベルだ。そんな人たちからアドバイスをもらったら、それに従ったほうがいいんじゃないか? ハハハ...ヨーロッパじゃないね。

彼らと出会ったのはかなり早い時期で、“The Final Countdown”の頃だった。彼らは、レコーディング作業に多くの時間を費やし、ツアーにはあまり気を使わないように、とアドバイスしてくれた。もちろん、ヨーロッパである僕たちは、そのアドバイスを受けて、正反対のことをした。その後の3年間は、ほとんどツアーに費やしたよ」


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