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村上“ポンタ”秀一が死去

2021/03/15 12:35掲載(Last Update:2021/03/15 12:42)
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村上“ポンタ”秀一
村上“ポンタ”秀一
日本を代表するトップ・ドラマー、村上“ポンタ”秀一が死去。彼の公式サイトで発表。70歳でした。

以下、公式サイトより

村上“ポンタ”秀一が2月8日に視床出血により入院しておりましたが
令和3年3月9日享年70歳にて永眠いたしました。
葬儀・告別式は親族のみで執り行いました。
ここに生前に賜りましたご厚誼に深謝し謹んでご報告申し上げるとともに故人のご冥福をお祈りいたします。
誠に勝手ながら御香典・御供花はご辞退申し上げます。
お別れ会等は行う予定です。詳細はおってお知らせいたします。

PONTA SupporTeamStaff

http://www.ponta.club/



村上“ポンタ”秀一は1951年1月1日 兵庫県西宮市生まれ。1972年、フォーク・グループ“赤い鳥”に参加。翌年1973年1月6日には、スタジオミュージシャンとしての初参加レコード「美しい星/赤い鳥」がリリースされる。以降、渡辺貞夫、山下洋輔、坂本龍一、後藤次利らとセッション、さらに井上陽水、吉田拓郎、山下達郎、松任谷由実、吉田美奈子、矢沢永吉、沢田研二、さだまさし、泉谷しげる、桑田佳祐、長渕剛、EPO、角松敏生、尾崎豊など、膨大な数のミュージシャンのスタジオ・レコーディング、ライヴに参加。レコーディングはゆうに14,000曲は越える。

93年からリーダー・バンド“PONTA BOX”で活動しモントルー・ジャズ・フェスティバルにも出演した。98年に音楽生活25周年を記念した『Welcome To My Life』、04年には30周年アルバム『MY PLEASURE』を発表した。

サウンド・プロデューサーとしてさまざまなアーティストと音作りを続けた一方、ドラム・クリニックをはじめ、後進の育成、指導にも積極的に力を注いだ。