エマーソン、レイク&パーマーの
キース・エマーソン(Keith Emerson) 、ザ・フーの
ジョン・エントウィッスル(John Entwistle) 、イーグルスの
ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh) 、TOTO他の
サイモン・フィリップス(Simon Phillips) 、スティーリー・ダン/ドゥービー・ブラザーズの
ジェフ・“スカンク”・バクスター(Jeff Baxter) らが参加したスーパーグループ、
ザ・ベスト(the Best) 。1990年に日本とハワイで行った5公演のみで活動を終えたこのスーパーグループについて、リード・ヴォーカルを務めたリック・リヴィングストン(Rick Livingstone)が米ローリングストーン誌のインタビューの中で語っています。
リック・リヴィングストンは、自身のアルバムをプロデュースしたジェフ・“スカンク”・バクスターに誘われてロサンゼルスに移り、二人はクラブでハウスバンドを率いて演奏していました。彼らの演奏には有名アーティストたちが参加することも何度もあったそうです。
彼によると、「ある夜のバンド構成は、僕とバクスター、キース・エマーソン、ジョン・エントウィッスル、ジョー・ウォルシュ、そしてサイモン・フィリップスがドラムを叩いていたと思う。その日は、たまたま日本からのプロモーターが大勢集まっていた夜だった。彼らは夜の終わりにバクスターに“日本でコンサートをやらないか”と言った。バクスターはその夜、ステージにいた全員に話しかけて、彼らがやりたいことなのかどうかを確認しました。結果的に、そうなったんだ」
彼は自分がシンガーの最初の候補者だったのではなくテリー・リードが最初に誘われたと述べています。テリー・リードが再び断ったとき、バンドはバクスターの説得でリヴィングストンを選んでいます。リヴィングストンは「彼らは有名でない人を望んでいた」とは説明しています。
ザ・ベストのセットリストは、グループのメンバーが以前に書いた曲をフィーチャーしていました。
「ジョーは“俺はやるけど、俺が書いていないイーグルスの曲はやらない”と言い、エントウィッスルは“自分が書いたザ・フーの曲だけやる”と言っていました。...サイモンもそうだった。彼はジェフ・ベックのために書いた曲をやったんだ。キースはELPの作曲の一翼を担っていたので簡単だった。僕らは主にインストゥルメンタルの曲を演奏した。キースは“Take a Pebble”のような大ヒット曲はやりたくなかった。彼はただ自分のキーボードの腕前を見せたかっただけなんだ」
リヴィングストンは世界的に有名なバンドメンバーから「親切に扱われた」と語り、彼らを「正真正銘の本物の人たち」と表現しています。結局、予定されていたイベントが雨で中止になった後、彼らは初のスタジアム・ライヴを行い、その後、計4日間、2万人の観客の前で演奏しました。
リヴィングストンは「もっとライヴをやろうという話もあったんだけど、家に帰ってからおかしな出来事が連続して起こったんだ。キースは“ELPの再結成ツアーをやるんだ”と言っていた。そしてサイモンはTOTOに参加し、ジョー・ウォルシュはイーグルスの復活を聞かされていたので、終えなければならなかった」と話しています。
エントウィッスルとバクスターは新しいラインナップを組んだものの、エントウィッスルはすぐにザ・フーの再結成のために呼び戻されます。「数年以内にみんな元のバンドに戻っていた。そして二度とやって来なかった」とリヴィングストンは語っています。
リヴィングストンはその後、テレビ音楽の分野で成功を収め、エミー賞に8回ノミネートされています。
以下はザ・ベストの横浜公演の映像
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