Spencer Davis (Image credit: Evening Standard/Stringer/Getty Images)
スペンサー・デイヴィス・グループ(Spencer Davis Group)の創設者、スペンサー・デイヴィス(Spencer Davis)が死去。彼の代理人であるボブ・バークは、デイヴィスが10月19日に肺炎の治療中に病院で亡くなったことを英BBCに明らかにしています。デイヴィスは81歳でした。
スペンサー・デイヴィスはウェールズのスウォンジー生まれ。10代の頃からジャズやブルースに夢中になり、後にローリング・ストーンズのベーシストとなるビル・ワイマンと最初のバンド、The Saintsを結成する。またフリートウッド・マックのクラシック・ラインナップの中心メンバーとなるクリスティン・マクヴィーとはChristine Perfectを組み、フォーク・ミュージックを演奏した。
1963年、まだ10代だったスティーヴ・ウィンウッドと彼の兄マフ・ウィンウッドと出会い、スペンサー・デイヴィス・グループを結成。64年にデビュー。ウィンウッドの抜群の歌唱力を武器に“R&Bのグルーヴ感は黒人そのもの”とメディアから絶賛される。60年代半ばに「Keep on Running」「Gimme Some Lovin'(愛しておくれ)」「I'm a Man」」がヒット。1960年代のブリティッシュ・インヴェイジョンを象徴するバンドのひとつとして活躍した。
1967年にウィンウッド兄弟が脱退。1969年に一旦解散するが、70年代に再結成。2005年以降はライヴ・バンドとして新しいラインナップ(ウィンウッド兄弟なし)で活動を再開し世界中をツアーした。またデイヴィスはソロ活動も精力的に行った。
訃報を受け、スティーヴ・ウィンウッドは追悼コメントを発表しています
「スペンサーとは13歳の頃からの知り合いで、彼は22歳くらいだったと思います。僕と兄は彼のバンドと一緒にバーミンガム大学でショーをやりました。バーミンガム大学の学生だったスペンサーは、少人数のミュージシャンたちと一緒に演奏していた。僕らが出会い、スペンサー・デイヴィス・グループの種が蒔かれました。
スペンサーはイギリスのフォーク・シーンの初期の先駆者で、彼の場合はフォーク・ブルース、そして最終的には当時“リズム・アンド・ブルース”と呼ばれていたものを取り入れていた。彼は僕の音楽の好みに影響を与え、僕が初めて見た12弦ギターを所有していたし、レッドベリーやビッグ・ビル・ブルーンジーの音楽に夢中になっていた。すでに僕には大きな影響を与えてくれた兄がいて、スペンサーは当時の僕にとって兄のような存在になっていました。
彼は確かなビジョンを持った人物で、60年代のブリティッシュ・インヴェイジョンのパイオニアの一人でした。僕はスペンサーと一緒にアメリカに行ったことはありませんでしたが、彼は後にアメリカを受け入れ、アメリカは彼を受け入れました。
彼は僕をプロのミュージシャンになる道に導いてくれたと感じており、彼に感謝しています。
ありがとう、スペンサー」