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ポール・サイモン『Graceland』参加 レディスミス・ブラック・マンバーゾの創設者ジョセフ・シャバララ死去

2020/02/12 11:15掲載(Last Update:2020/02/12 11:20)
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Joseph Shabalala
Joseph Shabalala
ポール・サイモン(Paul Simon)のアルバム『Graceland』への参加でも知られる南アフリカの男性コーラスグループ、レディスミス・ブラック・マンバーゾ(Ladysmith Black Mambazo)の創設者であるジョセフ・シャバララ(Joseph Shabalala)が死去。BBCなどによると、シャバララのマネージャーは、彼が南アフリカのプレトリアにある病院で2月11日の朝に亡くなったと話しています。死因はまだ明らかにされていませんが、シャバララは長い間病気に苦しんでいました。2014年には健康上の問題のため、ツアー活動から引退していました。シャバララは78歳でした。

ジョセフ・シャバララは、南アフリカのトゥゲラ生まれ。若い頃は教師や医者を夢見るが、12歳の時に父親が亡くなり、家業の農場を引き継ぐために学校を辞める。その後、彼は昼間はダーバンで自動車整備士として働き、夜は友人たちと歌っていた。1959年、後にレディスミス・ブラック・マンバーゾとなるグループを設立し、南アフリカのズールー族の歌と伝統的なカペラ風のイシカタミヤを組み合わせて、すぐにそのリーダー兼メイン作曲家となった。

彼らの知名度は1970年代に上がり、1stアルバム『Amabutho』は、南アフリカの黒人のミュージシャンでは初めてとなるゴールドディスクを記録した。1986年に彼らは、ポール・サイモンのアルバム『Graceland』に全面参加。その後のワールドツアーにも参加した。これにより世界的な知名度を得て、その後3つのグラミー賞を含む様々な賞を獲得した。またレディスミス・ブラック・マンバーゾは、ドリー・パートン、スティーヴィー・ワンダー、ジョシュ・グローバンほか多くのアーティストとレコーディングを一緒にした。

シャバララは健康上の問題のため、2014年にグループとのツアーから引退しましたが、彼は長年にわたって出演を続けた。レディスミス・ブラック・マンバーゾは、シャバララの息子のリーダーシップのもとで世界中をツアーし続けています。